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平野国臣 燃ゆるおもひの幕末志士

1828年03月29日~1864年08月21日
文政11年03月29日 – 元治元年07月20日
福岡市中央区生まれ /「我が胸の燃ゆるおもひにくらぶれば烟は淡し桜島山」尊王討幕で活躍し、京で処刑された憂国の志士。


地行に生まれ育った代表的人物は平野次郎国臣である。「君臣は永遠、主従は私事」と言いきり、天子様の下では将軍も大名も足軽、町民も平等であるという革命的な思想を持っていた。毎年、桜のころ平野次郎国臣の顕彰会が西公園の国臣像の下で行われる。平野国臣と言っても最近ではあまり知った人もいないが、幕末の勤王の志士であり、優れた歌人でもあった。
「我が胸の燃ゆるおもひにくらぶれば烟は淡し桜島山」と言えば、お聞きになった人があるいはおられるかもしれない。国臣を知らない人たちに聞くと、「熱つ、熱つのセレナーデですか」などと言う返事が返ってきたりして、いささかがっかりさせられる。
平野次郎国臣は文政十一年(一八二八年)、地行枕町で足軽の子として生まれた。誕生地は現在今川一丁目となっており、二〇二号線に面し、平野神社が建つている。
 三十歳で脱藩し、倒幕論を掲げて全国区の革命活動家となる。何度も投獄されるが意志を曲げず、公武合体論者で佐幕派の黒田藩を勤王倒幕に導こうとするが、一匹狼の悲しさ、ぎゃくに藩から追われる身となる。京に上って朝廷に仕えるが生野の乱で幕府側に捕らえられ、元治元年(一八六四)、京都で新撰組の手にかかって殺害される。享年三十七歳。、野村望東尼と短歌のやりとりをするなど歌人としても優れた才能を示す。勤王僧月照と西郷が薩摩湾で入水自殺をしたとき、国臣は波間より西郷をすくい上げ蘇生させた。大西郷がこのとき死んでおれば、明治維新は達成されただろうか、近代化の助っ人でもあった。
平野の足跡を簡単に書けば上記のようなものである。歴史に〈もしも〉が許されるならもしも、殺されずに活躍が許されていたなら、土佐の坂本龍馬的な存在になっていた人物であろう。また、維新後の明治政府において筑前勢の影響大ならしめたのではないか。そして日本古来の文化を色濃く残してくれたにちがいないと思う。(箱嶌八郎)
平野国臣 – Wikipedia
西日本シティ銀行:地域社会貢献活動:ふるさと歴史シリーズ「博多に強くなろう」
平野国臣
六角獄舎と平野国臣

平野国臣
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