来島恒喜 自刃

1859年12月30日~1889年10月18日
福岡市生まれ / 1889年10月18日、条約改正反対を訴え、大隈重信外相の馬車に爆裂弾を投ず。玄洋社葬に大隈から花輪届く。


谷中・桜木・上野公園裏路地ツアー来島恒喜
彎曲していく日常
早稲田大学 – 政治家大隈重信 –

来島恒喜 (1980年)
来島恒喜 (1980年)

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増補・玄洋社発掘 もう一つの自由民権
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コメント

  1. 浦辺 登 より:

     東京谷中(やなか)霊園にも来島恒喜の墓があるが、この墓は初め勝海舟が建てたものを頭山満によって建て替えられた。
     玄洋社関係の文書の写真には勝海舟が建てたものが出ているが、その最初の墓石は現存の墓のそばにある。さらに、そばの灯篭には「暗夜の燈」と彫られていたものを官憲の手で削ることを命じられた。
     この谷中霊園の近くに朝倉文夫彫塑館があるが、朝倉は彫刻家として大隈重信像を製作した。早稲田大学構内にあるものと同じものが展示してあるが、来島によって吹き飛ばされた右足をかばうためか、右手に杖が握られている。
     なお、この谷中霊園の霊園事務所前にはオッペケペーの川上音二郎顕彰碑の台座が残っている。