宅島徳光 くちなしの花

1921年03月~1945年04月09日
大正10年~昭和20年
福岡市博多区生まれ / 昭和20年04月09日に遭難した海軍中尉の手記は、広く取り上げられ、ヒット曲として一世を風靡した。
奈良屋小学校(楢崎弥之助元代議士と同窓生)、県立福岡中学、慶応義塾大学法学部、昭和18年学徒出陣により海軍予備学生(第十三期飛行予備学生)として三重海軍航空隊に入る。
出水、宮崎の各航空隊を経て昭和19年5月海軍少尉に任官。8月松島海軍航空隊附。20年4月金華山沖にて任務中遭難死亡。享年24歳
太平洋戦争末期の激しい飛行訓練の合間に記された手記「くちなしの花」は、出版物やテレビ、ラジオなどによって数多く紹介され、歌謡曲「白い勲章」は美空ひばりに歌われ、後昭和48年「くちなしの花」(渡哲也)はヒット作となる。

一即多

1973(昭和48)年に俳優の渡哲也さんが歌ってヒットした「くちなしの花」。
「いまでは指輪も まわるほどやせてやつれた おまえのうわさくちなしの花の 花のかおりが旅路のはてまで ついてくるくちなしの白い花」
オイルショックの時代によく歌ったものだ。昭和20年04月09日に遭難した海軍中尉の宅島徳光が大学ノートに書きつづった恋人への切ない想いが「くちなしの花」 。彼はこの花が好きだっただけでなく、戦争末期、口には出して言えない(口なし)の心の記憶としたかったらしい。戦没学生の遺稿集「きけわだつみのこえ」にも収録され、今では英語、中国語、韓国語の翻訳本もでき、世界中の若者が読んでいる。
その1節
  俺の言葉に泣いた奴が一人
  俺を恨んでいる奴が一人
  それでも本当に俺を忘れないでいてくれる奴が一人
  俺が死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人
  みんな併せてたった一人
小学校の親友である国会の爆弾男・楢崎弥之助が作曲家の遠藤実さんに紹介。これに感動して「くちなしの花」を作曲し、水木かおるさんが作詞、俳優の渡哲也さんが歌って大ヒットした。
日経新聞(2006年の6月27日28日)に掲載された私の履歴書で、作曲家遠藤実氏が「くちなしの花」が世に出た経緯を語っている。昭和48年、渡哲也の曲を書いてほしいとの依頼があった。不思議なことにタイトルだけは『くちなしの花』で決まっていた。作家の曽野綾子さんからの紹介でディレクターが宅島徳光海軍飛行予備中尉の遺稿集『くちなしの花』を知ったのがきっかけである。
恋人は八重子さん。遺稿集の『くちなしの花』は徳光氏が激しい飛行訓練のひまひまに綴った手記を『くちなしの花』としたのは、好きな花であったし、また、戦争末期の当時、口に出していえない(くちなし)心の記録という寓意をもふくましていたらしい。

山手晋

白い勲章
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