村山長一 九州テニス協会を設立

1900年08月12日~1981年06月29日
佐賀市生まれ / 現在の九州テニス界の基盤を創った九大医学部第一外科局長。


九州テニス協会の創立者。佐賀市八戸町生まれ。旧制佐賀中、第五高等学校を経て九州大学医学部を1925年(大正14年)卒業。
この年日本庭球協会九州支部創立のため奔走、同時に九州テニス協会も設立。現在の九州テニス界の基盤を作った。又その頃からプレーヤーとしても活躍、1920年(昭和02年)から二年連続、全九州選手権ダブルスペアーの中島定次(九大医学部卆)と資金300円を拠出、1930年福岡市平尾にテニスコート二面と小さなクラブハウスを作り、福岡市最初の福岡ローンテニスクラブの看板を掲げた。
翌年、九大医学部第一外科医局長、同講師。1939年池田市(大阪府)池田回生病院長に転じ、以降は関西地区のテニス界で活躍。関西テニス協会長、日本テニス協会顧問。
以上「福岡県百科辞典」から記事引用しました。記入<鈴木塙二>より
T.N.

九大医学部二八会卒業三十周年記念誌 (1983年)
九大医学部二八会
九大医学部二八会事務局

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