福本日南 「元禄快挙録」

1857 年05月23日~1921年09月02日
安政5年~大正10年
福岡市中央区生まれ / 忠臣蔵を国民的ブームにした明治の史論家、ジャーナリスト、政治家。明治41年12月14日に福岡市崇福寺で第一回義士会を開催。

福本日南と忠臣蔵

2009年は大石内蔵助生誕350周年です。「時は元禄15年12月14日・・・・」で始まる講談「赤穂義士伝・忠臣蔵」が一層心にしみる年です。元禄15年(1702)12月14日は、大石内蔵助以下47人の赤穂浪士が吉良上野介の屋敷に討ち入り、主君浅野内匠頭の遺恨をはらし見事本懐を遂げた日です。四十七士に義挙は武士の鑑、武士道の精華として語り継がれ、日本人の心に「忠臣蔵」として300年間、親しまれ脈々として流れています。
ところで福岡市南区寺塚に史跡穴観音がある興宗寺では毎年12月14日には福岡義士会主催の義士際が賑やかに開催されています。
福岡義士会のおこりは、篤志家木原善太郎氏が昭和10年(1935)、青少年の健全育成と日本精神作興のために私財を投じて泉岳寺と同宗の興宗禅寺境内(に赤穂義士の墓を建立。これを機に義士会が結成され、討ち入りの日に祭典を執行。祭典は頭山満氏が名誉会長となり、時の市長参列のもとに地元住民、並びに小中学校児童生徒が多数参列し、盛大に行われた。以後、地元有志特に興宗禅寺関係者で毎年開催、年々参加者が増えています。
縁もない福岡になぜ泉岳寺墳墓に模して、配列から地形、玉垣まで同形式墓を建立した背景が福岡の歴史に探ることが出来ます。
忠臣蔵を国民的ブームにしたのは福岡市出身の史論家で九州日報の編集局長兼社長、である福本日南氏です。
明治日本の羅針盤と言われる日南氏が明治41年(1908)08月01日から295回にわたって「元禄快挙録」を九州日報に執筆連載。これが「文章世界」に転載され、単行本で出版されると日露戦後の風潮にマッチし、東京を中心に義士ブームを生みます。
この年12月14日博多黒田家菩提所崇福寺で第一回義士会を開催し、翌年第二回を開催後、九州日報を辞し帰京。東京に中央義士会を設立し、毎年泉岳寺で義士会を開催しており、福本日南の碑が泉岳寺に建てられています。
箱崎釜破故の世界(1) 福本日南の鴎外批判 – 武士道から見た黒田騒動 by 石瀧豊美
西日本シティ銀行:地域社会貢献活動:ふるさと歴史シリーズ「博多に強くなろう」

元禄快挙録 上 改版 (1)
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コメント

  1. 浦辺 登 より:

     福本日南の支援を得て、浪花節の桃中軒雲右衛門も『義士伝』を完成させ、「名人」の名を得ることになり、更には有栖川宮妃殿下に招かれるという栄誉にまで発展しています。
     桃中軒雲右衛門の弟子である宮崎滔天も桃中軒牛右衛門を名乗り、九州興行で玄洋社の支援があったからと思います。
     福本日南の墓所が青山霊園にあることは知っていましたが、泉岳寺に碑があることは気づきませんでした。今度、確認したいと思います。

  2. 浦辺 登 より:

     宮崎滔天の『三十三年の夢』岩波書店、1993年には孫文の辛亥革命を支援する福本日南が何度も登場します。
     また、小野寺龍太 著、『日露戦争時代のある医学徒の日記』弦書房、2010年には、九州日報時代の福本日南とその娘の事が紹介されています。

  3. 浦辺 登 より:

     泉岳寺に福本日南の碑があるとのことですが、訪ねてみると檀家の墓地に墓としてありました。
     東屋と井戸の近くで、一般の人は立ち入りできません。
     また、その近くには未整備ですが、日清戦争に従軍して処刑死した殉節三烈士碑、川上音二郎一座の欧米派遣碑などもありました。