箱田六輔 玄洋社社長

1850年05月~1888年01月19日
福岡市生まれ / 徹底した民権論者で性格は豪放で人望厚く将来を期待されたが、国会開設前年に急死した。


8.明治中期の北九州
玄洋社史概観

玄洋社社史
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コメント

  1. 関口 正道 より:

    私の友人のはなしですが、彼は名前を出すな、というので友人Aとしておきます。Aの母の叔父は東京の箱田家に養子になり、箱田六輔娘と結婚。オクスフォード大に遊学ののち、大日本製糖に入社、のちには玄洋社重役となった由。
    箱田六輔は大陸政策に反論を唱え、頭山満と意見が対立、満が席をはずした間に割腹して果てた、というので満は箱田家を訪ねては仏壇に手を合わした、という
    ハナシもAから聞きました。私の家には
    頭山満の揮毫で、『君子慬独』と書いたものがあります。これは満の甥が
    飯塚病院に勤務しておった昭和15年頃
    に頼んでもらったのです。機嫌の良いときを見計らって揮毫を頼むと。「よし、
    硯を磨れ」と応じたとか。

  2. 箱田 満輔 より:

    私、満輔は六輔より数えて曾孫です。達磨より三代目、孫です。上のお話は爺さん達磨のお話です。父玄輔も頭山先生が渋谷に居た時代、あそびに行っては墨を刷り筆書をしょっちゅう貰って来たといってました。私は父が頭山先生より満を授かってきてつけていただきました。まだまだ追伸はありますがこの辺で、叉