中村天風(三郎 ) 心身統一法(ヨガ)の普及

1876年07月30日~1968年12月01日
東京都北区王子生まれ / 積極的言葉による積極的思考の生き方・心身統一法(ヨガ)を進める哲人。修猷館と玄洋社で学び、113名いた軍事探偵のうち日露戦争から生還したわずか9名のうちの1人。
1919年05月31日 頭山満の代理として哲人・中村天風が講演、ヨガ普及に旅発つ


中村天風は1876(明治9)年、柳川・立花家ゆかりの華族として生まれる。幼少より才気煥発(かんぱつ)で気性も激しく、修猷館中学を退学。玄洋社で鍛えられ、日清、日露両戦争では軍事探偵として活躍し、死線をかいくぐった。
除隊後、29歳の若さで大日本製粉(後の日清製粉)の重役に迎えられるが、30歳のときに当時、死の病といわれた急性粟粒(ぞくりゅう)結核にかかる。病身を押して、アメリカやヨーロッパの学者や宗教家などを訪ねる「心を求める旅」に出て、医学博士となる。
しかし、満足できる答えを得られないまま、帰国の途中、ヒマラヤ山脈の大聖者カリアッパに出会い、導かれるまま、師の元で修行し、結核は完治。その後、実業界で成功するが、四十三歳のときに社会的地位や財産を捨て、日本最初のヨガの伝道師として、独自の哲学を教える天風会を設立した。
天風翁の壮絶な体験に裏打ちされた哲学は多くの人を魅了し、直接薫陶を受けた人は10万人におよぶという。著名人も数多く、中でも17、8年もスランプで書けなかった作家、宇野千代を甦らせた翁の「人生は心ひとつの置きどころ」という教えは天風哲学の神髄を表している。
誰でもすぐにできる天風哲学の日常的実践としては…夜寝る前にはくよくよ考えない、元気になる積極的な言葉を常に使う。そして人間の心と体にマイナスに働く<怒哀>を抑えるための神経反射の調整法「天風式クンバハカ法(腹式呼吸)」の習慣化だ。要点は肛門を締め、下腹部に力を込め、肩をすとんと落とすことがポイント。
「人間を創る」天風哲学は、仕事や人間関係で悩み、病気や不幸で苦しみ、あるいは「どう生きればいいのか」と悩む人たちにとって、現在も大きな道しるべとなっている。
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戦場と瞑想―若き日の天風 中村三郎の軌跡
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コメント

  1. 浦辺 登 より:

     中村天風の墓所は東京都文京区大塚の護国寺にあります。
     この寺の山門の左脇が天風会の建物になっていますので、会員の方がよく墓参されています。