杉山龍丸 グリーンファーザー

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1919年05月26日~1987年09月20日
福岡市生まれ、作家・夢野久作(杉山泰道)の長男として生まれる。福岡市香椎の農園を売って、飢饉に飢えるインドの砂漠を緑化し、今でもグリーンファーザーと尊称されている。「インドの独立の父はガンジーさん。インドの緑の父(グリーン・ファザー)はスギヤマさん」である。


杉山龍丸は私財を投げ打ち、インドの砂漠を緑の大地に蘇らせた人物です。
植林された緑の木々が、涸れた大地を作物が育つ地質に変えていきます。龍丸は、門外不出であった蓬莱米の種を台湾から譲り受け、不可能と言われていた稲作を成功させます。今では、インドは米の輸出国にまで成長しました。又、ネパールの南からパキスタンまで広がるシュワリック・レンジ(丘陵)での土砂崩落を植林で防ぐと言う、従来の学者達が考え得なかった方法で問題を解決していきます。
役人でも学者でもない一民間人の彼がなぜインドの荒廃した大地に緑の木を植え続けたのでしょうか。その理由を語る上で二人の人物を欠くことはできません。
明治から昭和にかけて政財界のフィクサーとして活躍した祖父・茂丸は、植民地化されたアジア諸国を嘆き、将来アジアの人々が豊かに暮らせるために農業実験場「杉山農園」(現福岡市東区香椎)を作ります。父・泰道(夢野久作)は同じくヒューマニズムを求め、農園を守りながら文学作品を書き続けます。二人の荒ぶる魂は龍丸へと伝承され、インドの砂漠に緑の大地として結実されたのです。
文責 山手晋

杉山龍丸/ふたつのかなしみ

私財を投げ打ち、インドの砂漠を蘇らせて、グリーンファーザーと尊称されている杉山龍丸は、異色の作家夢野久作(本名 杉山直樹 出家して泰道萌円)の長男として大正08(1919)年に福岡市に生まれた。
祖父は明治から昭和にかけて政財界のフィクサーとして活躍した杉山茂丸です。祖父と父の志を花開かせるために一生をかけ、果たしました。
祖父は、アジアの国々を独立させることが日本の国を守ることにつながると、頭山満らと協力し、インドやフィリピンなどの独立運動や中国の革命運動をしている人たちを助けるため久作に命じて、福岡市東区香椎(当時は糟屋郡香椎村)に13万02千平方メートルの農園を作らせています。この農園は、アジアの国々が独立したときに国の基礎となる農業の指導者を養成するために用意され、龍丸は幼いときから農業の勉強をします。
昭和10年に祖父・茂丸が、また翌年の11年には父・久作が亡くなった時、龍丸は17歳でした。龍丸は、二人が言い残した「杉山農園はアジアの人々のために使え」という言葉を心に刻んで生きていく決心をします。
旧制福岡通学校を経て陸軍士官学校、陸軍航空技術学校を卒業し、昭和15年(1940年)に戦線へ。終戦後、復員局、プラスチックの仕事を経て昭和30年(1955年)インドのネール首相の要請で、アジアの発展途上国のために「国際文化福祉協会」をつくり、ガンジーの弟子たちとの交流を深めます。
昭和37年(1962年)龍丸はガンジー翁の弟子たちに招かれてはじめてインドへ。「アシュラム」という集団農場をまわり、彼にできる限りの技術指導をしてゆきました。昭和47年(1972年)の大旱魃(だいかんばつ)に出会います。三年にわたって雨が少なかったインドの大地。この大地に作物の恵みは訪れなかったのです。福岡県の人口より多い500万人もの人間が餓死したと言われます。
アメリカやソ連の国を挙げての援助に対し、私財を投げ打ち一人の知恵と血のにじむ努力で、インドの砂漠を蘇らせます。
また祖父茂丸の関係者に協力してもらい、台湾から蓬莱米の種を譲り受け、ガンジー塾で米作りにも成功し、今や米の輸出国です。活動が認められ、オーストラリアで行われた国連の環境会議の議長にも選ばれます。龍丸の夢は世界に向かっていました。
インドで緑化した方法を応用すれば、世界中の多くの地域で緑化をすることができる。そうすれば多くの人々の命を救うことができる。近代社会は、化石燃料を消費して回っている。消費だけの社会はいつかインドのようになってしまう。このことをみんなに伝えなければ、龍丸はそう考えました。
しかし、日本の国内では、龍丸の活動はほとんど理解されていませんでした。日本国内の興味は、自分の生活を豊かにすることに向いている時代でした。気がつくと杉山農園の土地も家もすべてなくなっていました。そのすべてがインドでの活動に費やされていました。最後に望みをつないだ財団法人の認可も認められることはありませんでした。
昭和60(1985)年、父や祖父と同じ脳溢血で倒れた龍丸は、二年二ヶ月の闘病生活の後、昭和62(1987)年09月20日、亡くなります。不思議なことに、無名の龍丸がなくなったという記事を各地の新聞が伝えました。龍丸の事務所には膨大な資料が残されていました。息子の満丸は、いつか父のことをわかってくれる人が出てくるかもしれない。自分ができる限りこの資料を残していこうと考え、福岡市総合図書館に3000点の資料を寄託しております。
そして「杉山農園の緑はなくなったけど、その子孫がインドでこうして広がり続けているって、なんて素敵なのでしょう」と語っています。
また、祖父は其日庵と号して、数々の著述を出版しており、その影響でちょっと変わった作風の小説をたくさん出した夢野久作の長子として、鶴見俊介や西原和海らの久作再評価の動きを、資料を提供するなどして積極的に助けました。その成果は1966年の夢野久作全集の刊行として結集して、夢野久作はそれまでのマニアにのみ知られている変わった探偵小説家から、日本文学史上に特異な位置を占める巨星と認識されるに到りました。まさに祖父と父の文学上の志を花開かせたと言えます。
龍丸さんとファミリーのことを知りたかったら、
谷底ライオンhttp://homepage2.nifty.com/tanizoko/
をご覧ください。詳しく分かります。
杉山龍丸 – Wikipedia
杉山龍丸
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