高松凌雲 赤十字活動の先駆者

1836年12月25日~1916年10月12日
天保7年~大正5年
小郡市生まれ / 1869(明治2)年05月11日新政府軍が榎本武揚軍を総攻撃し、05月18日に終結した戊辰の役の函館戦争(五稜郭の戦い)で敵味方なく治療して赤十字精神を発揮、貧しい人を助ける同愛社を結成した偉大なる医哲。


箱館(現在の函館、戊辰戦争最後の戦い=箱館戦争の場所)の野戦病院に次々と戦傷者が運び込まれる。その中には新政府軍の兵も混じっていた。高松凌雲は「敵を何故助けるのだ。」といきり立つ者をなだめ、戦傷者を敵味方の別なく治療した。これが日本最初の赤十字活動といわれている。
筑後国古飯村(現在の小郡市)に生まれた凌雲は22歳の時、医師を目指して江戸に行きオランダ医学を学ぶ。徳川一橋家に仕えた凌雲は、徳川慶喜が15代将軍となったので幕臣となった。
30歳の時(1867)、パリ万博の随行医としてフランスに行き、フランス医学を学ぶ。彼が選んだ「オテル・デュウ」(神の館)は「医師は人間の生命を救う尊い職業である」の精神を徹底的に教えた。
1868年05月に帰国。すでに幕府はなく、慶喜は水戸に謹慎していた。31歳の凌雲は恩義のある徳川家につくすため、旧幕府軍を率いる榎本武揚と運命を共にすることを決断した。
箱館戦争(五稜郭の戦い)で多くの兵が傷つき倒れた。そして戦傷者が次々に野戦病院に運ばれてきた。凌雲はフランスで学んだ赤十字の精神によって敵・味方の別なく負傷兵を治療した。
戊辰戦争は旧幕府軍の敗北で終了し、凌雲は幕臣だったため蟄居処分となった。だが凌雲の評価は高く、新政府に仕えるように何度も要請があったが、すべて断り、一開業医師として活躍した。

k・s

高松凌雲 – Wikipedia
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