東条カツ 首相夫人

1890年~1982年05月29日
福岡県田川郡生まれ、元首相東条英機大将の未亡人として1982年(昭和57年)、91歳の波乱万丈の人生を東京・世田谷の自宅で終える。


「東条一家の悲劇は昭和20年08月15日の敗戦の日から始まったという。次女の満喜枝さんの先夫、近衛師団の古賀陸軍少佐が抗戦決起の責任を取って自決。同年9月11日が、東条さんの自宅での自殺未遂―。この時、カツさんは娘たちを実家(福岡県田川郡)に帰していたが、自分は夫の最後を見届けようと、警戒の激しい自宅の庭に草刈バアさんの姿で潜んでいた。」
「実家の九州までMPに追いかけられたカツさんは遠い親戚の寺に身を隠す。
昭和21年5月、東京裁判が開かれ、カツさんは再び上京。東条さんが処刑される23年暮れの直前、カツさんと娘4人が巣鴨プリズンで最後の面会をする。その時の様子を彼女はこんな風に記している。
『夫は金網の向こうから現れた。よくみると主人の右手首と米軍将校の左手が手錠でつながっている。ギクッとしてそれを尋ねると、〝手足がどんなにガンジガラメになろうと、お父さんの心は嵌めることができない。皆が信仰を持って力強く生きるように〟と静かな落ち着いた声で話された』
こうして夫と最後の別れをしたカツさんは三男四女と共に戦後を生きぬいてきたのだが、東条家への非難の嵐がおさまったのが処刑から数年後。それからは社会の表面に出ないのをモットーとし質素に暮らしてきたという。根が丈夫で、近くに住む子供たちを小まめに訪ねたり、好きな庭仕事をしたりの年金生活。会合も、せいぜい旧陸軍の遺族会に出るぐらいで、ひっそりとした暮らしだった。
ちなみに、三男四女は長男、長女の二人は病死したものの、次男の輝雄さんは三菱自動車工業の社長、三男の敏夫さんも菱熱工業取締役。カツさんと同居していた次女の満喜枝さんは家裁調停委員。三女・幸枝さんは映画監督の妻であり、四女・君江さんは国際結婚をしてハワイ在住。」
週間新潮編の「昭和の墓碑銘」〈東条英機未亡人 カツさんの波乱万丈〉から抜粋。

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