頭山満 大アジア主義

1855年04月12日~1944年10月05日
安政2年~昭和19年
福岡市早良区生まれ / 自由民権運動から政治結社玄洋社を結成し、インドの独立、孫文の中国革命の支援などアジアの自立に向けて活躍した無位無官の在野の頭領(国士)。

玄洋社と頭山満

玄洋社は、幕末から明治かけてに活躍した男装帯刀の女性眼科医高場乱(おさむ)の興志塾に学んだ頭山満をはじめとする志士が、西南戦争の西郷隆盛を慕い、高知の自由民権運動と出会い、民権と国権の相克の中から誕生する。「民権」を固守するためには、祖国の自主独立が打前提になると考えで行動した。思想というより、同志、家族、郷土、アジアといった燃え盛るような同族、地域愛から生まれた組織であろう。GHQが解散させた真の理由はそこにあったと推測される。
憲則を現代風に言えば「先祖を敬うべし」「国・故郷を愛すべし」「権利・義務をわきまえて公共のために尽くすべし」と言うことになろう。
彼等が発刊した福陵新報は明治の史論家で忠臣蔵を国家文学にした福本日南や夢野久作、中野正剛が活躍した九州日報になり、世界の100人に選ばれた反骨のジャーナリスト菊竹六皷が副社長を務めた福岡日日新聞と合併し現在の西日本新聞に至る。
玄洋社系といわれる多くの人は、現在も福岡市中央区赤坂にある明動館で柔道を練習した仲間や中学修猷館の館友である。ただ一人文民総理として戦犯絞首刑になった広田弘毅や東京オリンピック組織委員会会長を務めた安川第五郎、ジャーナリトで政治家中野正剛と緒方竹虎などがいる。最後の10代目の社長進藤一馬は九州日報の社長も勤め、中野正剛の秘書でもあった。
GHQのカナダの歴史家で外交官のハーバート・ノーマンは「日本帝国主義、反動の重要な邪悪な役割を演じてきた」「彼等は再び日本軍国主義復活の先鋒となる恐れがある。」と見て解散を指令している。
戦前は神格化され、戦後は無視された頭山満は1908(明治42)年雑誌の募集した「現代豪傑」でトップに選ばれた「国民的な人気者」でその時々の権力者が利用した面が多々あろう。彼を知る人は富士山のような人というが、50年来の同志で作家・夢野久作の父親である国士・杉山茂丸は「訥弁なようだがきわめて雄弁家。粗慢なようで緻密。横着者のようで正直。無情に見えて実に情にもろい。卑近な話をしていながら、精神上哲理の妙境に遊んでいる」と評しているが、どこか善さんに似ていませんか。彼は西郷と同じ敬天愛人で「親子、夫婦。兄弟、町内付き合い、広くは国際間の交際であろうと。別に変わったことじゃない」「サムライはもともと田んぼを守るために生まれた。一族の土地を他者に奪われないよう武装したのが始まりだ。民権か国権かという問題は、苗を植える時か、外側を整える時かの違いに過ぎない。サムライにとって大切なのは、あくまで田んぼなのです。」と語っている。
孫文や蒋介石、インドのビハリ・ボース(新宿中村屋)やタゴールとの深い交流は、死の直前まで妨害されながらも日中の和平工作に取り組み、敗戦時の蒋介石による賠償請求権放棄は頭山翁との絆に負う所が大であると言われている。
ふくおか未来立志塾 山手晋(人あり手・海鳥社参照)

エチオピアと頭山満

1936(昭和11)年05月09日アフリカ最古の独立国エチオピア(ソロモン王朝(ハイレ・セラシエ1世)がイタリアに併合されイタリア領東アフリカとなる。1935年06月04日に頭山満を代表とするエチオピア問題懇談会(250名)が設立され、玄洋社社員の間でエチオピアへの義勇兵派遣計画が持ち上がっていた。満州事変以降、イタリア、ドイツに急接近していた日本政府は、「満州国」の承認と引き換えに、イタリアのエチオピア併合を黙認。翌年には日独伊3国防共協定を締結し頭山らの支援は水泡に帰した。(人ありて・海鳥社参考)
頭山満 – Wikipedia
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コメント

  1. 浦辺 登 より:

     現在も靖国神社の相撲場の入り口には力士像の台座に頭山満の「国技」と記したものが残っていますが、これだけでも玄洋社の頭山満という人物の人気度がわかります。