斉明天皇 朝倉宮

~661年07月24日
~斉明天皇7年
660年唐・新羅に滅ばされた百済の救援のため自ら筑紫へ行幸。朝倉橘広庭宮に本営を置いたが、661年07月に崩御する。


35・47代天皇。舒明天皇の后。天智・天武・間人(はしひと)(幸徳天皇皇后)の母。父茅渟(ちぬ)王、母は吉備姫王。幸徳天皇の同母姉。641年舒明天皇崩じ、翌年皇后が即位位し皇極天皇となる。645年(大化元)6月大化改新が起こり天皇は位を軽(かる)皇子(孝徳天皇)に譲った。生存中に譲位した最初の例である。655年再び即位し、斉明天皇となる。660年唐・新羅は百済を滅ぼした。百済復興を願う遺臣鬼室福信らは日本に救助を乞うた。天皇は自ら筑紫に行幸し救援軍を遣わすため、661年正月、海路難波津を出発、03月25日娜大津(後の博多)に着き、5月(『日本書紀に一部では4月)朝倉橘広庭宮に移った。この時、朝倉社の木を切り宮を造ったため神の怒りがあり、大舎人(とねり)・近侍者中病死者が多かったという。7月朝倉宮に崩じ、8月皇太子中大兄は喪に従い盤瀬宮に移り、その後に難波に帰った。
西日本新聞社刊福岡県百科事典・松崎英一より
百済救援と朝倉遷都
皇極天皇 – Wikipedia
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