真木和泉 久留米藩の志士

1813年03月07日~1864年07月21日
久留米生まれ / 幕末志士中で最も徹底した幕府否定・王政復興論者であり実行者であった。天王山で自刃。


本名 保臣(やすおみ)、通称 和泉、変名 浜忠太郎
1813年(文化10年)久留米水天宮の真木左門旋臣の長男として生まれた。久留米藩学明善堂に学び、水天宮祠官、久留米藩中小姓格となった。1844年江戸に出て水戸学の影響を受け尊皇攘夷を唱えた。水戸で会沢正志斎に接し心酔。
1852年、久留米藩の藩政改革意見を建白し、藩執政有馬監物らの排斥を企てたが失敗し筑後市水田の実弟宅に幽閉された。 10年間の幽閉生活中に「大夢記」「義挙和文」「義挙三策」などを著し、また九州尊王攘夷派の結集に努めた。
1862年に脱藩し、薩摩の島津久光に上洛をうながし、活躍の場を京都に移した。同年04月の寺田屋事件で捕縛され久留米に拘禁されたが、1863年朝廷の命により許され、再び京都尊王攘夷派の中心として活躍した。同年の「08月18日の政変」で三条実美ら七卿にしたがって長州に下った。
1864年、京都での勢力挽回のため上京した長州藩は真木和泉・来島又兵衛の強攻策を取り入れ「京都守護職松平容保誅伐の書」を提出した。07月18日薩摩藩・会津藩などの兵と衝突した。
この禁門の変(蛤御門の変)で真木和泉は脱藩浪士を率いて長州軍に参加したが、長州軍は敗退した。真木和泉は同志16名とともに山崎天王山の宝積寺で宿営した。見廻り組、新選組と会津兵が攻め上ってくるなか同志とともに自刃した。
辞世「大山の峰の岩根に埋めにけりわが年月の大和魂」。
顕彰会編「真木和泉守遺文」
小川常人「真木和泉の研究」
山口宗之「真木和泉」
K・S
真木 和泉(まき いずみ)
幕末維新新選組 真木和泉
真木和泉

真木和泉
真木和泉

posted with amazlet on 06.12.31
山口 宗之
吉川弘文館
売り上げランキング: 566618
真木和泉守―維新の智将 (1941年)
金沢 正造
三邦出版社
尊皇攘夷
尊皇攘夷

posted with amazlet on 06.12.31
中村 武彦
面影橋出版

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. 浦辺 登 より:

    青山幹生、青山隆生、堀雅昭 著、『靖国の源流』弦書房、2010年、に真木和泉が「楠公祭」を行なったことが出ています。
     また、明治21年11月5日に真木和泉は靖国神社に合祀されていますが、本書の著者である青山氏は靖国神社初代宮司青山清の末裔になります。