堺利彦 日本社会主義の父

1870年11月25日~1933年01月23日
京都郡豊津町生まれ / 1896年05月06日から西日本新聞社に一年間在社した。片山潜、高徳秋水、阿倍磯雄等と社会主義を開拓。
1905(明治38)年 10月9日 日露反戦論を展開した平民社が弾圧により解散、幸徳秋水らが入獄。1910(明治43)年06月、「大逆事件(幸徳事件)」において逮捕。翌年、処刑された。
1903年(明治36年)、日露戦争前夜に、幸徳は『万朝報』記者として同紙を舞台に日露非戦を訴えていたが、ロシアとの開戦へと世論の空気が押されていくなかで、『万朝報』も社論を非戦論から開戦論へと転換させたため、幸徳、かれの盟友の堺利彦、キリスト教徒の内村鑑三の3名は発行元の朝報社を退社し、幸徳と堺は非戦論を訴えつづけるために、平民社を開業して週刊『平民新聞』を創刊した。


堺利彦 – Wikipedia
堺 利彦
☆堺利彦(枯川=こせん)☆

倫理と唯物史観 (1977年)
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堺 利彦
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堺利彦伝 (1978年)
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堺 利彦
中央公論社

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コメント

  1. 浦辺 登 より:

     堺利彦は藩校育徳館(現在の福岡県立豊津高校)の卒業生で、この育徳館には会津若松藩の家老の次男であった郡長正も学んでいます。(残念ながら、郡長正はこの豊前の地で割腹自決しましたが)
     東京神田の古書店で堺利彦の扁額(書)をみかけたことがあります。
     無政府主義者の大杉栄、伊藤野枝の娘と堺利彦の娘が知人関係であったというのも目指すものが同じであったのかなと思います。