黒田長政 福岡藩初代藩主

1568年12月03日~1623年08月04日
永禄11年~元和9年
兵庫県姫路生まれ / 1600年関が原の戦いで徳川家康方の先方をつとめ、その軍功により筑前一国52万3000石を与えられる。


父、黒田孝高(官兵衛、如水)は、豊臣秀吉の軍師として有名。長政は関が原の戦いで武功を上げ、筑前福岡藩52万3000石で初代藩主となる。
播磨国姫路城で誕生、織田信長の人質として当時織田家臣の羽柴秀吉の居城、近江国長浜城にて過ごしている。いきさつはあったが、「長」の字を信長から与えられ長政と名乗った。信長が本能寺で死去後、父と共に秀吉の家臣となる。1583年賤ケ岳での活躍、1584年小牧・長久手の戦い等を経てそれらの功績で2000石を与えられた。
1587年九州征伐では長政自身が日向財部城攻めで功績を挙げている。戦後父子併せての功績で豊前国中津12万5000石、1589年父隠居で家督相続、従五位下、甲斐守に叙任されている。
関が原1598年では三成ら文治派との対立で五大老の徳川家康に接近、家康の養女を正室に向かえ福島正則、加藤清正ら武闘派と共に石田三成を襲撃した。
1600年家康が会津の上杉景勝討伐の兵を起し、長政も従ったが、その間に三成ら西軍、大阪で挙兵、長政は東軍武将として奮戦、長暦で西軍小早川秀秋等の寝返りを導き、その功大いに認められ、前述筑前名島(福岡)に52万3000石を与えられた。1603年の冬の陣でも活躍した。
1623年08月04日発病、京都知恩院で死去、享年56歳。後を嫡男、黒田忠之が継いだ。
T.N.

黒田長政と穴観音

福岡市南区寺塚にある興宗寺の境内には「穴観音」があります。この穴観音がある丘は、約1400年前の円墳だと言われ、奥壁に観音像が刻まれている珍しい古墳です。
黒田長政が藩主として博多へ来たのは慶長05年(1600年)のこと、福岡城の歴代藩主は、どの殿も穴観音への信仰が厚かったと伝えられている。城内八万坪という広壮な福岡城は近在の里から岩石を切り出して使われました。建設の続くある日・・・黒田長政は不思議な夢をみた。
観音様が現れて「私の住んでいる所が壊されようとしている、直ちに工事を中止してください」と言うのです、驚いた長政殿が調べてみると、壊れかけた洞窟の壁に「観音様」が彫られているではありませんか、長政殿はすぐに補修を命じ、この古墳からの採石を禁じました。
その後三代藩主忠之が拝殿を建立、四代藩主綱政が興宗寺を起したのです。
「穴観音」はこの他にも言い伝えが多く、この興宗寺から福岡城まで「抜け穴」が通じていたとも言われている。又西郷隆盛の西南の役(1877年)の折には福岡党が密議をした場所として知られる。(参考 「穴観音」部分;福岡県総務部広報課所有「郷土物語」より)
黒田長政 – Wikipedia
黒田長政の列伝
黒田長政

黒田長政
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