光武帝 国宝・金印授与者

前06年~57年
中国河南省生まれ / 中国後漢の始祖。奴国王が「貢を奉り朝賀」したことへの返礼として「漢委奴国王」の金印を授与する。これが江戸時代1784(天明4)年02月23日に志賀島で発見された.
王莽(おうもう)の新朝を倒して後漢年(ごかん)王朝を創始した初代皇帝(在位25~57)。姓名は劉秀(りゅうしゅう)。 諡号の光武 帝は漢朝を中興したことより「光」、禍乱を平定したことより「武」の文字が採用。降服した者たちがこぞって彼の徳を褒め称えた言葉が、武帝紀上に「赤心を押して人の腹中に置く。安(いずく)んぞ死を投(いた)佐ざるを得ん乎(や)」と紹介されている。つまり「人を篤く信じて隔てを少しも置かずに接した劉秀にどうして命をささげないでおれようか。」ということである
「彼は、頭がよく、人望もあった。そして短期間で乱世を統一し、後漢を建国して、初代皇帝となった。超一級の英雄と言える。ただ、英雄として完璧すぎるため、人間としての面白みに欠ける。そのため、ヒーローとしても人気は、曹操や劉備には、遠く及ばないのだ。」(加藤徹著「貝と羊の中国人」より)
1931(昭和6)年12月13日に金輸出再禁止となる。不穏な時代に刻々と突入する様子が見える。約1900年前の西暦57年は少なくとも国際的には平和な時代であったはずだ。108グラムに金が荒波を超えて中国から日本に輸出されたのだから。

未来への羅針盤・国宝『金印』

太古から大陸分化交流の玄関口として栄えた福岡市は「奴」の国以来2千年の歴史を持っています。
その奴国に西暦57年に後漢の光武帝から贈られたのが「漢委奴国王」(「かんのわのなのこくおう」)と刻まれた国宝「金印」です。邪馬台国時代よりも約二百年も前のことですが、今でも福岡市博物館で歴史とロマンを秘めた永遠の輝きを見せています。
金印は歴史と文明文化交流のシンボルであり、国際友好平和の証でもあり、永遠に輝く姿は、「生命」そのものの象徴ともいえます。
光武帝 – Wikipedia
光武帝
光武帝の言葉

光武帝(上)
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