玄洋社

玄洋社誕生、正確には福岡玄洋社。成立について異説あり、大正時代に書かれた「玄洋社史」では1881(明治14)02月結成となっている。玄洋社生みの親、高場乱(たかばおさむ)。社長にはならなかったがその後の歴史に大いに影響力を発揮していく。頭山満ら旧福岡藩士を中心に組織化されていった。初代社長「平岡浩太郎」就任、二代「進藤喜平太」(福岡市長になる進藤一馬の父)・・・「進藤一馬」は最後の社長を務めた。


国家主義、天皇中心主義、大アジア主義を掲げて結成、国家主義的な政治団体。単純な右翼とは異なり、アジア共同体を構築するためアジア各国の独立運動家を支援、1946(昭和21年)GHQによって解散させられた。
最も有名な事件;1889(明治22年)大隈重信爆殺未遂事件。(詳細略)新聞;「福陵新報」1887(明治20年)08月から発行、1898(明治31年)「九州日報」と改題、さらに1942(昭和17年)福岡日日新聞」を合併、「西日本新聞」となり今に至る。
その人脈の影響もいろいろあり、上述「進藤一馬」福岡市長、また多くの運動家を輩出した福岡藩の藩校「修猷館」、現在は県立高校となりいまでも影響力あり、福岡県出身唯一の内閣総理大臣「広田弘毅」や東方会を結成した。「中野正剛」、元自由党総裁「緒方竹虎」、自民党「山崎拓」などが修猷館出身である。
下記に付記しているようにいろいろ研究されてきて新たな像も垣間見られる、今後の新たなる展開も楽しみである。
石瀧豊美氏(福岡地方史研究会会長)「解説」頭山満と玄洋社”その封印された実像”より少し引用すると、(戦後、半世紀以上を経過、「頭山満」、「玄洋社」という名前すら聞いたことが無いという人が大部分のはず。それらは時間と共に忘れられたのではなくある時期から意図的に封印されたのが実情に近い。公の場で語ることがタブー視された空気があった。どの「日本史辞典」でも政治結社と定義、右翼の源流と位置付けられており、侵略主義のレッテルが貼られている。調べるにつけそうではない部分を垣間見、単に右翼ではないし、単に侵略主義、政治結社ですらない、もっと何か?を感じる)と述べられている。著書「玄洋社発掘—もうひとつの自由民権」、共著「福岡を歩く」「筑前竹槍一揆論」等。
T.N.
玄洋社 – Wikipedia
玄洋社史概観
近代史のファイル – 頭山満と玄洋社―その封印された実像― 第4回 玄洋社誕生す

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