来島恒喜 自刃

1859年12月30日~1889年10月18日
安政6年~明治22年
1859(安政6)年12月30日、福岡市に生まれ 、1889(明治22)年10月18日に29歳で逝く。
1889年10月18日、条約改正反対を訴え、大隈重信外相の馬車に爆裂弾を投ず。玄洋社葬に大隈から花輪届く。条約改正は破棄され、後に外国と平等なる条約改正がなされ、大隈重信は宰相に登りつめる。三島由紀夫氏の言う民主主義には欠かせない純粋なるテロであり、広田弘毅氏の「黙して逝った」遠因と言えようか?

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