牛島謹爾(ジョージ・シマ) カリフォルニアのポテトキング

1864年01月06日~1926年03月27日
元治元年~昭和元年
三潴郡鳥飼町(久留米市梅満町)出身
1888(明治21)年12月15日、25歳で渡米。ストックトン市で「シマファンシー」という商品名の馬鈴薯で億万長者になる。ストックトンのサンオーキンデルタカレッジに記念館{シマセンター」がある。在米日本人会初代会長。サンマテオ郡コルマの日本人共同墓地に渋沢栄一子爵が建てた記念碑に「奮い立てよ若き人々よ、祖国のために」と書いてある。中国文学に造詣深く、「別天」と号し漢詩を作った。


1908(明治41)年02月18日移民に関する日米紳士協約が結ばれる。日本はアメリカ合衆国への新規移民を禁止することを約束した。
20年前の1888(明治21)年に渡米し、サンフランシスコの近郊コルマの日本人墓地に眠る久留米市出身のポテト王牛島謹爾也や10年後に渡米した福岡市シティー銀行の創設者四島一二三等が移民する時代から日露戦争の翌年1906(明治39)年をピークに増えたアメリカへの移民は、日露戦争後の日米関係悪化に伴い1906年(明治39年)にサンフランシスコで日本人学童排斥問題が起き、1908年(明治41年)のアメリカ向移住制限に関する日米紳士協約、1921年(大正10年)の緊急移民割当法、1924年(大正13年)のアメリカ排日移民法制定等で漸減していく。こうしたアメリカの制限が南米ブラジルの移民を増加させる。

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