四島一二三 一番電車30年

1881年10月14日~1976年11月01日
久留米市北野町生まれ / 17歳で渡米し、米国仕込みの起業家として福岡相互銀行(現・西日本シティ銀行)を創設する。


1908(明治41)年02月18日移民に関する日米紳士協約が結ばれる。日本はアメリカ合衆国への新規移民を禁止することを約束した。
20年前の1888(明治21)年に渡米し、サンフランシスコの近郊コルマの日本人墓地に眠る久留米市出身のポテト王牛島謹爾也や10年後に渡米した福岡市シティー銀行の創設者四島一二三等が移民する時代から日露戦争の翌年1906(明治39)年をピークに増えたアメリカへの移民は、日露戦争後の日米関係悪化に伴い1906年(明治39年)にサンフランシスコで日本人学童排斥問題が起き、1908年(明治41年)のアメリカ向移住制限に関する日米紳士協約、1921年(大正10年)の緊急移民割当法、1924年(大正13年)のアメリカ排日移民法制定等で漸減していく。こうしたアメリカの制限が南米ブラジルの移民を増加させる。
西日本シティ銀行

二宮佐天荘主人四島一二三伝 (1966年)
原田 種夫
福岡相互銀行
福岡相互銀行40年史 (1967年)
福岡相互銀行
福岡相互銀行行史編纂委員会

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