菅原道真 天神さま

845年08月01日~903年03月26日
承和12年06月25日~延喜03年02月25日
901年突如右大臣から太宰権師に左遷され、02月01日に都を出、59歳で没す。学問の神として全国に祭られている。630(舒明2)年08月05日に第一回遣唐使犬上御田鋤が派遣され、264年後の894年には遣唐大使に任命されるが、日本独自の文化を育てる 為・唐が衰退してきたことを理由に遣唐使の廃止を訴え、採用される。264年間に遣唐使は19回任命されたが、実際に渡海したのは15回である。
道真は万葉集の最後の編者として非常に読みづらい万葉集の草稿を、勅命によって編集し直し、893年(寛平5)09月25日、新撰万葉集2巻を撰進している。


日本には一万二千の天満宮があるが、太宰府天満宮は天満宮の総本社というだけでなく、菅原道真公の墓所の上に社殿を造営した唯一、お墓参りができる天満宮だ。道真公には詩人・学者、政治家・右大臣、教育者という三つの顔がある。
気候は六百年周期で寒暖を繰り返すという説があり、歴史を振り返ると、温かいころは華やかな文化が生まれ、寒くなると大きな社会的な変革や動きが生じる。道真公の生きた時代は寒くなり始めたころだ。
また日本の歴史を見ると、唐風(近代では欧風)と和風が振り子のように繰り返されるが、唐の国情不安と文化衰退や、財政的な困難から遣唐使を中断した道真公は唐風から和風への移行の時期だ。
道真公の祖父、菅原清公(きよきみ)は空海や最澄と共に遣唐使になり、人望もあった人物だ。この祖父に憧れ、手本にしたことも、道真公の大宰府への左遷という悲劇につながったと考える。
ところで、密教が栄えた平安時代は食文化が大きく変わり、肉食や生ものを食べなくなった時代だ。道真公は五十九歳でお亡くなりになったが、当時としては長生きだ。動物性タンパク質が極端に不足していた人々は非常に短命だった。また遣唐使などを通じ、海外から技術や文化だけでなく、流行病も入り、多くの人たちが亡くなっている。そんな背景もあり、迷信深く、言霊(ことだま)が、現代では想像できないほど人々に大きな影響を与えていた時代でもある。
『平安』というと一般に華やかで穏やかなイメージがわくかしもれない。
しかし、響きとは全く反対の、病気に苦しみ、激しい政争の時代でもあった。
時代に翻弄され波瀾の生涯を生きた道真公の悲劇に、千年の時を超えても人々の心は引きつけられる。
菅原道真 – Wikipedia
太宰府天満宮:菅原道真公
菅原道真

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コメント

  1. 浦辺 登 より:

     太宰府天満宮は菅原道真公の遺徳による合格祈願の祈願所といわれていますが、風水の上でも中国大陸、朝鮮半島からの龍脈の陰陽の陽の気が集まるパワースポットちょいわれており、合格祈願、立身出世の願掛けの場所といわれているそうです。
     また、合格祈願だけではなく、「復活の聖地」ともいわれ、名誉回復の祈願所ともいわれています。