末松謙澄 (のりずみ) 「源氏物語」英訳出版

1855年08月20日~1920年10月05日
安政2年~大正9年
行橋市生まれ / 日本の夜明けに活躍した伊藤博文の知恵袋.世界初の「源氏物語」英訳を出版。日露戦争の間、英国へ渡り、日本の立場をヨーロッパで説明した。


 明治時代、日本初の内閣総理大臣になった伊藤博文の娘婿に、末松謙澄という人物がいた。この人物、政治家でありながら、日本初の文学博士、翻訳家、外交官、歴史学者、演劇プロモーターといった多彩な才能を発揮した、マルチ人間のはしりである。
 1855年(安政2年)に福岡県行橋市に大庄屋、末松七衛門の四男として生まれた謙澄は、幼いころから漢学に親しみ、16歳の時に上京して住込み書生として苦学する。このころ出会った、後に総理大臣となる高橋是清から英語を習い、さらに彼の伝手で、東京日日新聞に入社して若き主筆者として才能を発揮する。その才能を見込んだ伊藤博文に官界入りを勧められ、明治11年、謙澄は外交官としてロンドンに向かい、同時にケンブリッジ大学の留学生となって24歳から32歳までの8年間をここで過す。
 このロンドン留学時代に、源氏物語の世界初の英訳、義経=ジンギスカン説の発表というセンセーショナルな事績で注目を浴びる。これには、国威発揚を目指す日本からの働きかけもあったと考えられる。明治19年に帰国後、内務省に入省。
 三年後、支援してくれた伊藤博文の、次女生子(いくこ)と結婚、娘婿となる。
 明治23年の第一回衆議院議員選挙に立候補して当選。後に男爵の爵位を得て、貴族院議員となる。岳父伊藤の内閣閣僚(内務、逓信大臣)としてよく伊藤を補佐していき、また長州閥のたっての依頼で、「防長回天史」の編纂に当たったり、演劇改良運動を起こしたり、イギリス文学の翻訳を行ったりと、存分にマルチ人間ぶりを発揮する。明治37年の日露戦争勃発に際し、政府特使として日英同盟の締結のあったイギリスへ向かい、イギリスの援助を図るため、日本の立場を主張説明。留学時代に培った外交力をおおいに発揮し、日本の勝利に貢献した。
 大正9年、65歳で永眠。福岡県の生んだ異色の明治の傑物だった。
末松謙澄 – Wikipedia
末松謙澄
西日本シティ銀行:地域社会貢献活動:ふるさと歴史シリーズ「北九州に強くなろう」

若き日の末松謙澄―在英通信
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