北原白秋 からたちの花

1885年01月25日~1942年11月02日
柳川市生まれ / 詩人、歌人、民謡童謡作家で「赤い鳥」の童謡運動に熱中した。「帰去来」の詩碑が故郷に建立されている。1902年(明治35年)の06月03日付け福日新聞(現西日本新聞)に伝習館中学4年生で最初の作品「虹」1首を発表。

1908(明治41)年12月12日に木下杢太郎ら耽美派詩人と「パンの会」を結成する。

安曇野を歩く

「パンの会」の会歌となった北原白秋の詩である。 「パンの会」は、「新詩社」を脱退して『スバル』に転じた白秋、木下杢太郎(もくたろう)、吉井勇らに石井柏亭、高村光太郎ら青年美術家を交えて明治41(1908)年12月、第1回の会合を開いている。


本名は北原隆吉、1885(明治18年)年福岡県柳川市の旧家に生まれ育つ。早稲田大学英文科を中退。その後、上京して「明星」に加わり、新詩人として活躍。1908(明治41)年12月12日木下杢太郎ら耽美派詩人と「パンの会」設立、「パンの会」とは新芸術運動の会で、「五足の靴」旅行に参加した3人(北原白秋、木下杢太郎、吉井勇)などが『方寸』という美術工芸雑誌を出した画家たち(石井柏亭、森田恒友、山本鼎など)と合同して始めた。『五足の靴』の旅は、この『パンの会』の設立にも大きな影響を与えた。代表作品は、詩集「邪宗門」、歌集「桐の花」、長歌集「天真名井」などだが、同様などの作詞家としても、多くの作品を残した。1942(昭和17)年、57歳で没す。

「五足の靴」の旅

与謝野寛(鉄幹)が主宰する『明星』で活躍した学生、北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、平野万里ら4人を率いて長期旅行をしたのが「五足の靴」の旅です。1907(明治40)年07月28日から08月27日まで、九州西部中心に約1ヶ月の旅で五足の旅としゃれた5人の紀行文です。その年の東京二六新聞に旅程より10日ほど遅れて09月07日より09月10まで、5人が交互に執筆して29回にわたり連載されます。いろいろの所に立ち寄り、特に天草下島西海岸の富岡より大江まで役2KMを徒歩で歩く部分が印象的です。一行は、平戸、長崎、島原、天草などでキリシタン史遺跡に、立ち寄り戦国時代から苦難を乗り越えてきたキリシタン進行に思いをはせています。
福岡市西公園で一行を迎え福岡県文学会が催され、一艘の船で博多の川丈旅館へ帰る。翌日千代の松原で海水浴をし柳川の北原白秋宅へ、酒蔵を見学し宿泊。翌日虹ノ松原を散策し唐津文学会へ参加する。
(2009年11月5日「五足の靴・文化芸術フォーラム」土居善胤講師資料より)
北原白秋 – Wikipedia
北原白秋記念館
早稲田と文学(北原白秋)

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コメント

  1. 浦辺 登 より:

     北原白秋とともに九州旅行をした吉井勇の歌碑が太宰府天満宮の本殿裏手にある「お石茶屋」前にあります。
    《太宰府のお石の茶屋に餅食へば旅の愁ひもいつか忘れむ》
     また、第二回の衆議院議員選挙が明治二十五年(1892)に行われましたが、白秋の叔父が民党の岡田孤鹿(おかだころく)を支援したために玄洋社と争うことになり、幼い白秋はピストルを握って家を守ったともいわれています。