長谷川町子 「サザエさん」

1920年01月30日~1992年05月27日
佐賀県多久市生まれ / 昭和21年04月22日夕刊フクニチでスタートし、連載6477回「国民まんが」になった。


1944(昭和19)年08月09日サザエさんの長谷川町子が西日本新聞朝刊で連載記事『学徒は増産の主力』のカット(漫画)を描く。 
漫画家長谷川町子は24歳で西日本新聞に入社、絵画係で1年4ヶ月在籍。カット(漫画)を戦時中とは思えないほど楽しく、明るく、描いている。彼女が後に夕刊フクニチや朝日新聞で描いた筆遣いは西日本新聞のカットに見られる。
西日本新聞の地域報道センター・川上弘文氏(なんとしょうと福博ブラリぶら07・2・4付け西日本新聞朝刊)によると昭和の初め、福岡市春吉に住み、春吉小学校を卒業した。「長谷川さんは、6年3組だった。5学級のうちただ一つの男女共学。おてんば娘だったらしい。自らも『名うての腕白(わんぱく)者』と告白している。』と語っている。
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1920年(大正09年)01月30日、三菱炭坑の技師であった勇吉の三女(四人姉妹、次姉は夭折)として生まれる。父のワイヤーロープの事業開業にともない福岡市春吉に転居した。1932年(昭和07年)春吉小学校を卒業し、県立福岡高等女学校(現福岡中央高等学校)に進学した。町子が福岡高等女学校二年の時、父勇吉が亡くなった。母貞子は三人の娘の将来を考え国会議員をしていた叔父をたよって上京し、町子は山脇高等女学校(現山脇学園)に転校した。
町子は山脇高等女学校在学中に田河水泡(「のらくろ」の作者)に師事し、少女倶楽部に処女作「狸のお面」を掲載、卒業後は田河水泡の内弟子となり子ども向けの漫画を中心に描いた。
1944年(昭和19年)、東京での生活が困難となり、福岡市百道に疎開し、西日本新聞編集局に勤務、挿し絵などを担当したが終戦後辞職した。
1946年(昭和21年)04年22日、福岡の夕刊フクニチで「サザエさん」の掲載を始めた。長谷川町子の自伝漫画「サザエさんうちあけ話」によれば「地方紙の気軽さから簡単に引き受けて描いた」と述べている。半年後中断し、12月に上京。続「サザエさん」を再開した。「サザエさん」は1949年(昭和24年)12月より、朝日新聞の夕刊に移り、1951年(昭和26年)から朝刊に掲載され、1974年(昭和49年)02月21日に終了した。明るい笑いをふりまく「サザエさん」は映画化され、またテレビドラマや舞台で上演された。テレビのアニメは長期にわたって放送されている人気番組である。
長谷川町子は生涯独身で、姉毬子と二人暮らしであった。遺言に「入院、手術はしない。 葬儀、告別式はせず、密葬。納骨が終わるまで公表しない」とあったため納骨が済むまで死亡は公表されなかった。作品は、姉と共同で設立した姉妹社から出版されていた。
「意地悪ばあさん」「エプロンおばさん」も人気を博した。
k.s
長谷川町子 – Wikipedia
長谷川町子美術館 – Wikipedia
長谷川町子(1920-1992)

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コメント

  1. 浦辺 登 より:

     西新の西南学院大学から福岡市博物館に至る交差点に「サザエさん発案の地」という案内板があります。
     今では、ここが浜辺であったことなど全く想像できませんが、百道(ももち)浜を見ながら長谷川町子が「サザエさん」の構想を練っていた場所だったことがわかります。
     東京世田谷の長谷川町子美術館は長谷川町子が収集した美術品が展示してありますが、ここで売られている「サザエさん」のオリジナルグッズが良いです。

  2. 北野隆志 より:

     昭和21年8月31日付で創刊した夕刊北海タイムスという新聞が札幌にありました。それに漫画「サザエさん」が創刊号から11月16日まで掲載され、サザエさんが東京に社会勉強に行くということで終わっています。
     こちらを拝見したところ、4月22日からサザエさんがフクニチ新聞に掲載されたとわかりますが「半年後中断し、12月に上京」とあるから、北タイはフクニチと同時に終わったのかも知れません。
     夕刊北海タイムスは最初から順を追って半年遅れで転載しものかどうか。とにかく最後回はリュックを背負っての吹き出しで終了を知らせています。
     そちらに当時の切り抜きでも残っているのでしょうか。福岡県立、九大両図書館にも原紙、マイクロフィルムとも保存されておりませんよね。

  3. 浦辺 登 より:

    「夕刊北海タイムス」にも「サザエさん」が掲載されていたとは新発見です。
     当時の切り抜きについては、どこに保管されているのか知りませんが、図書館など気をつけてみてみたいと思います。
     ちなみに、万葉時代の歌人に石上堅魚(いそのかみかつお)という人がいるのですが、この人の名前を万葉集で見つけた時にはイソノカツオと読み間違えました。