益田憲吉 「くるま座」

1922年~1990年07月22日 大正11年~平成2年
福岡市生まれ/ 西日本新聞夕刊コラム,朝刊「マスケンのくるま座」で庶民の立場から個性的なペンで広く読者の共感を集めた。
福岡市生まれ、昭和14年、福岡中学(旧制)を卒業。県費派遣留学生として上海の東亜同文書院大学に学びド19年卒業。大陸に応召し、傷病軍人として久留米陸軍病院に後送される。
終戦後、西南学院経済専門学校(現西南学院大学)で経済学、中国語の教鞭をとるが教職員追放令に会う。同21年西日本新聞社に入社。東京支社政治部次長、本社経済部長、北九州支社長を経て編集局解説委員長。この間、中国や欧州に移動特派員として出張取材。同市夕刊の長期連載コラム『くるま座』は毒舌の筆法で世相を斬りまくり、好評を博す。硬派の時事評論家として講演も数多く、著書も『日本人の選択』『竜部隊の最後』など多数。
平成2年07月22日現役記者として没し「マスケン『くるま座』」が終わる。
新聞のコラムは、 1902(明治35)年10月07日の大阪毎日新聞がコラム「硯滴」を掲載。現在の「余禄」である。


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マスケンが斬る―くるま座 (1976年)
益田 憲吉
西日本新聞社

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