2007年5月 福岡スピリッツレポート

赤坂 小梅 「黒田節」を広めた民謡歌手

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ドキュメンタリー映画「小梅姐さん」を撮った監督 山本眸古さん
今年は「黒田節」「炭坑節」で知られる民謡歌手、赤坂小梅の生誕100周年に当たる。
これを記念して出身地、福岡県川崎町や田川市などの有志が中心になって「赤坂小梅生誕100年記念映画製作上映委員会」が昨年に発足。フリーの女性ディレクター・山本眸古(ひこ)さんがメガホンを取ったドキュメンタリー映画「小梅姐さん」が、五月から地元田川市などで先行ロードショーとして公開されている。
川筋女の心意気で、大正、昭和の激動の時代を駆け抜けた小梅姐さんの魅力とは・・・。

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赤坂小梅(本名、向山コウメ)は1906(明治39)年に川崎町に九人兄弟の末っ子として生まれるが、生後すぐに母を亡くす。幼いころからの芸事好きが高じ、16歳で小倉で芸者になり、気っ風の良さと美声で瞬く間に売れっ子になる。その後、福岡にやってきた野口雨情らに見出され、1929(昭和4)年にレコードデビュー。1933年(同8)年に古賀政男作曲の「ほんとにそうなら」がヒットする。
戦前、戦後を通して活躍し、流行歌、端唄、舞踊小唄のほか、「炭坑節」や「おてもやん」といった民謡を全国区にした功績は大きい。特に「黒田節」をレコード化し、ステージやラジオ・テレビといった放送を通じて歌い「小梅の黒田節か、黒田節の小梅か」とまで言われた。
声量豊かで豪快な歌いっぷりが持ち味で、NHKの紅白歌合戦には四回出場。小唄勝太郎、市丸と合わせて「鶯(うぐいす)芸者の三人衆」ともてはやされた。
多くの文化人、政治家に愛され、大衆から支持されたことは1981(同56)年4月に国立大劇場で行われた引退公演で、岸信介、田中角栄ら八人の総理大臣を含む政治家や、文化人ら一流の顔触れの四百人余りが友人や世話人として名を連ねたことからも想像できる。
酒豪で太っ腹な小梅姐さんは、晩年は福祉活動のほか、民謡教室を開き、85五歳の人生を千葉県で閉じた。

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