鮮やかな日本人 出光 佐三 物語

士魂商才を貫いた石油王

出光佐三は明治十八(一八八五)年、宗像市赤間で藍問屋の次男として生まれた。
神戸高商に進学後、なんと一商店に就職。神戸商高・水島銕也校長の「士魂商才」の教えを胸に商売の基礎を学んだ。しかし実家が倒産、窮地を救おうにも資金はなかったが、佐三の人間性に惚れ込んだ神戸の素封家が巨額の資金を提供。それを元手に同四十四年、門司に創業したのが機械油を扱う出光商会だ。
苦労した商売も軌道にのり大陸や台湾まで事業拡大。昭和十六年「出光三十年の歴史に誤りなし」と「人間尊重、大家族主義、独立自治、黄金の奴隷たるなかれ、生産者から消費者へ」の出光憲法を現している。
昭和二十年、敗戦で資産を失うが、八月十七日には社員に「愚痴をやめ、歴史を見直せ、建設にかかれ」と訓示。復興は苦難続きだったが、GHQから受けた廃油回収作業が認められ、同二十四年石油元売業者の一社となる。海外資本の傘下に入らず出光は独自の道を歩み、その後「日章丸事件」などを乗り越え、出光の名は海外でも有名になった。
しかし順調な自社に、逆に佐三は危機感を抱く。「金は国や社会貢献に大切だが、最善の努力で儲けねばならぬ。金儲け目的の会社はいずれ消える」と諭した。昭和四十一年に世界最大のタンカーを建造した時は、全国から中学生一万五千人を招待、「明日の日本を担う子に大きな夢を抱いてもらいたい」と願った。
佐三のもう一つの顔は美術品コレクター。伝統文化にも造詣が深く、出光美術館初代館長も務めた。そして昭和五十六年三月、九十七歳で天寿を全う。「顧みて、人間尊重の道は正しい日本人の胎動であった」と語ったという。

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コメント

  1. 植村達男 より:

    出光佐三氏には多数の著書があり、また評伝もでています。
    そのような資料を参考文献として末尾にリストアップして下さい。