丸山敏雄 純粋倫理の創始者

1892年05月05日~1951年12月14日
現在の豊前市合河町に生誕した丸山敏雄は苦学の末教師の道に進みます。教鞭を取る傍ら日本古代史の研究を続けていた丸山は、学問を更に深めたいと願い、広島文理科大学に入学します。すでに二児の父、三十七歳のときでした。


卒業後、丸山は一転宗教の世界に身を投じます。古典における奇跡、奇瑞の実証的研究を目指してのものでした。ひとのみち教団(現PL教団)に入信し、准教祖の一人に抜擢されるまでになりますが、戦時中の教団弾圧により、一年余りの勾留生活を余儀なくされます。特高警察の拷問には屈しなかった彼ですが、両親に辛い思いをさせているのではないかと思うと、涙がこぼれます。涙に洗い清められた魂に、大学の恩師、西晋一郎教授の言葉が響きます『父母の恩愛に目覚めることが、一切の知恵の始まりである』<徳福一致の絶対倫理>すなわち純粋倫理が芽生えた瞬間です。
釈放後迎えた敗戦。長年にわたる研究と実践は体系的な純粋倫理として開花結実していきます。昭和20年「朝の集い」(毎朝五時から行う心境を磨くための道場)開始。翌年「しきなみ短歌会」「新世文化研究所」(のちの倫理研究所)創立、「万人幸福の栞」十七則発刊。現在、「朝の集い」は全国1,800ヵ所、「倫理研究所」の会員数は約20万人を超えます。
文責 山手晋

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