明石元二郎 ロシアを倒した情報将軍

日露戦争とは、極東での南下政策を押し進めるロシアと、それを阻止しようとした日本との戦争である。
勝利した日本は、朝鮮半島と旅順、大連そして満洲(中国東北部)における権益を手に入れた。また、欧米列強の日本に対する認識が改まり、明治維新以来の課題であった不平等条約改正の実現にも大きく寄与した。さらに、欧州諸国の植民地支配下あったアジア・アフリカ地域の国々に独立の気概に弾みをつけた。


日露戦争の勝利に陰ながら大きな役割を果たしたのが、明石元二郎・陸軍大将(1864~1919年)である。藩校修猷館(現・福岡県立修猷館高校)から大名小学校を経て1889年に陸軍大学校を卒業。1901年にフランス、翌年ロシア公使館付陸軍武官に転任。日露戦争中は、参謀本部から当時の金額で100万円(現在の国家予算1200億円に相当)を工作資金として与えられ、ストックホルムを拠点にヨ-ロッパ中の情報を収集しロシア国内の政情不安を画策。その結果、ロシアは戦争継続が困難になった。
 なお、明石は機密費の使途明細を記録してそのすべてを参謀本部に報告したという。
 ドイツ皇帝ウイルヘルム二世は「明石一人で大山巖満州軍二十万人に匹敵する戦果を上げた」と驚嘆したといわれている。
 1918年第七代台湾総督に就任。水力発電所の建設や教育改革など台湾の近代化に尽くしたが翌年、五十五歳で病死。遺言により台北市中心部の日本人墓地に埋葬された。同墓地は公園整備のため、2000年に台湾有志の協力で北部の三芝郷(さんしきょう)に改葬されている。日本では明石の台湾における功績を知るものは少なく、台湾の土に還ったとことを知る者はさらに少ない。
関連ページ
北の旅人:明石将軍(1)
【崇高なる明治時代】

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする