夢野久作 異色の作家

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1889年01月04日~1936年03月11日
昭和初期、異色な作家として「ユメノワールド」「久作ランド」と呼ばれるような、独自の文学世界を構築。作品の底に、独自の哲学、国家観、社会観を深く沈め、今も日本社会の虚妄を底辺から撃つような面白さ、新しさを持っている。


執筆活動の拠点を故郷・福岡に置き、作品には福博の地名や博多弁も多く登場する。代表作「ドグラ・マグラ」は、難解だと評されるが熱狂的なファンも多く映画にもなった。昨年、アメリカで『日本を代表する27人の作家』の一人として紹介されたが、「ドグラ・マグラ」が突出したため、久作には怪奇作家というイメージが強い。実際には10年余の作家生活で探偵小説、童話、人物記ほか多彩な著作を残して急逝、享年47歳と言う若さであったが、その仕事の量は、60歳、70歳まで生きた作家に匹敵するほどであった。
その思想形成に大きな影響を与えた父は、「ホラ丸」の異名をとり明治・大正政界の黒幕と喧伝された杉山茂丸。長男 龍丸は、譲り受けた杉山農園を売った私財でインドを緑化し、グリーンファーザーと敬愛されている。
 
(略歴)
 明治22(1889年)年杉山茂丸、ホトリの三男として1月04日福岡市中央区大名に生まれる。幼名直樹。4歳の時、能楽師範喜田流梅津只園に入門。大名小学校、修猷館中学から20歳で近衛歩兵連隊に志願。翌年除隊後、2年間慶応大学に学び、大正3年東京で放浪生活。翌年出家し「泰道」の名で京都より大和路を托鉢行脚、6年還俗し杉山農園で執筆開始。
 翌年、鎌田クラと結婚し能楽喜田流教授となる。大正8(1919年)年31歳で九州日報に記者として入社。大正15年(1926年)に夢野久作で応募した「あやかしの鼓」が当選し作家活動に入る。昭和10年(1935年)1月「ドグラ・マグラ」刊行。7月父・茂丸死。翌年上京中2.26事件。03月11日逝去、享年47歳。
(作品)
『あやかしの鼓』『瓶詰地獄』『押絵の奇蹟』『犬神博士』『ドグラ・マグラ』『近世快人伝』『梅津只圓翁伝』ほか

夢野久作 小伝

西日本新聞社常任監査役 元論説委員長 」山 本  巖 氏
 
 作家・夢野久作研究家の第一人者でもある山本巖氏は、十一年前に西日本新聞で展覧会「快人Q作ランド」を企画し大成功を収めました。
 そして昨年、アメリカで『日本の文学者二十七人』の一人として夢野久作は紹介されました。福岡を沃野に、多彩な世界を創り出した作家の志とは・・・。
 夢野久作は明治二十二年福岡で生まれ、昭和十一年、四十七歳で死去、その生涯の大半を福岡で過ごした。父親の杉山茂丸が若くして政治活動で奔走し家族を放置したため、儒学者だった祖父・三郎平に育てられた。その出自によって、久作は古い福岡の士族社会の文化・風土を身につけた。「東京人の堕落時代「近代快人伝」といった近代を厳しく批判するエッセイは、そういった久作の精神のあり方を鮮やかに示している。
 一方、久作は西欧文化の影響によって、日本の社会が大きく変化した大正、昭和初期に青春時代を過ごしている。十九歳から二十四歳までは東京で暮らし、うち二年間は慶応大学で文学を学んだ。鋭敏な感受性を持つ久作が新しい潮流に影響されたのは当然である。「瓶詰め地獄」「少女地獄」「縊死体」といったモダニズムの傾向の強い小説は、久作のそういう側面を表現している。
 夢野久作という作家の内部では、その矛盾し対立する二つの価値観が共存し、あるいはせめぎあっていた。そのことを端的に示すのが、代表作である「ドグラマグラ」だ。この作品には近代と前近代、モダニズムと土俗、科学と超科学といった相矛盾する要素が錯綜する迷宮的世界が描かれる。
 その迷宮は久作内部の表現であると同時に、近代という時代の迷宮性の表現でもある。そこに、夢野久作の歴史的な意味がある。
夢野久作 – ふくおか先人資料館

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