矢野倖一 手作りの国産車

1892年10月27日~1975年10月16日
現存する最古の国産車「アロー号」、時代が求めた特殊自動車
乗り物といえば人力車だった大正時代の始め、福岡市の二十三歳の若者が手作りで一台の自動車を完成させた。


姓にちなんで名づけられた「アロー(矢)号」は今でも現物が確認できるという意味で日本最古の車である。現在、福岡市博物館に展示されており、今でも走行することができる。
飛行機作りが夢だった矢野倖一は福岡県立工業学校機械科に入学し、さっそく飛行機作りに励んだ。手作りの小型ガソリンエンジンを搭載した画期的な模型飛行機を作り上げると、間もなく運命の出会いが訪れた。矢野の技術を高く評価した地元財界の大物、村上義太郎に「金はいくらでも出すから自動車を作りなさい」と半ば強引に説得され、自動車作りへ転換する。
車に関する知識が全くなかったものの「手作りの国産車を」という情熱だけで村上から研究用に与えられたフランス製の自動車を分解する。後方にあったエンジンを前に置き、ボディーは和紙を張り重ね、柿の渋を塗って防水加工した上で、「腐らないように」とアルミを張るなど、多数の改造を施した。努力と研究を重ねた結果、大正五年、「アロー号」が誕生した。千五百CC、四人乗り。最高時速は五十キロを超えたという。
しかし、アロー号の製作はたった一台で終わった。当時の日本経済は、戦後の不況に震災の影響で壊滅状態。その時代が必要としたのはダンプカーや消防車だった。矢野はそうした特殊車の技術発明で成功を収めていく。矢野が興した自動車工場は現在、新宮町の本社工場のほか全国九カ所に営業所を持つ、矢野特殊自動車へと発展を遂げている。

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