負けても負けない?!

今年の大河ドラマ『真田丸』が好発進。あの徳川家康から「日の本一のつわもの」とタメ息混じり(たぶん)にホメられた真田源次郎信繁(大阪夏の陣から幸村を名乗っていますねー)はじめ真田家の活躍に期待が集まっているのでしょう。

ところで、なぜタメ息混じりだったのか、それは狸おやじ徳川家康が何度も真田父子に痛い目に遭わされ、なおかつ死にかけたから。わずかな兵で徳川家康本陣まで急襲し、あわや切腹自刃かというピンチに見舞われ、幸村が討ち死にしたおかげで命が長らえた安心感が「フ~っ」みたいなタメ息になったのでは、と姫は思うのでアリマス。

関ケ原と大坂冬・夏の陣の敗軍の将にもかかわらず、なんでこんなに真田一族が人気なのか?演義『真田十勇士』などのスペタクル(?)大活劇では妖術使いや怪しい坊主まで家来に従え、徳川家康をキリキリ舞いさせています。勝者がカッコいいのは当たり前ですが、敗者がカッコいいのは時と場合によります。

負けても負けないとは、後々までも人々の記憶に残る生き方なのかも、ですね。恩義のため、友人のため、損得抜きで頑張る瞬間が人生にはあるのでしょう。いつもいつも損得抜きではただのお人好しですが、ここぞいうときに自分を犠牲にできるサムライにカッコよさを感じるのかもしれません。

たとえば関ケ原の戦いでは、大谷吉継が盟友・石田三成のために負け戦と知りながら討ち死にしています。その大谷吉継の娘を妻とした幸村も同じように恩顧に応えて負け戦を戦い抜いた感があります。人は自分を捨てた時に強くなれるのでしょうか。苦渋の決断の末、兄弟が敵味方に分かれた関ケ原から15年後、大坂夏の陣で49歳の生涯を閉じるわけですが、400年後の今も記憶に残されているというのは、立派な勝者だと思いませんか?

ちなみに、幸村を討ち取ったのは、徳川家康の孫・松平忠直隊鉄砲組頭の西尾宗次だが、恩賞を取らせる際、自信満々誇らしげな西尾に家康は「幸村がお前なんぞを相手に本気で戦うものか」と一喝したという伝聞も残されています。

殺されたかもしれない敵にこれほど称賛される武将は幸村ぐらいかもしれませんね。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする