はるか2000年の昔、小国とはいえ一国の王が中国との交流を望み、その証しとして金印が渡されたことは、当時として画期的なことでした。
それから1784年(天明四年)2月23日、筑前国那珂郡志賀村叶ノ崎(現・福岡市志賀島)で偶然にも発見されました。金印は庄屋を通じて郡奉行に届けられました。その後黒田藩の府庫に納められました。
当初は、「偽物である」との声もありましたが、鑑定・考証にあたった黒田藩の学者・亀井南冥によって「後漢書」の中に「倭奴国、奉貢朝賀す。使人自ら大夫と称す。」との記述をふまえ、「金印弁」を著してその価値を示しました。
しかし、中国本土において蛇紐(蛇のつまみ)印が一点も出土してない事から、以前この金印の偽物説は消えませんでした。ところが1957年(昭和32年)1月、雲南省寧県の古墳から蛇紐の「(てんおうのいん)」が発掘された事で、この金印が本物であることが証明されました。
1954年には国宝に指定され、現在は福岡市博物館に展示されています。
(西暦57年、後漢(中国)の光武帝より奴の国王に贈られたもので、1784年志賀島で一農夫により発見されました。国宝に指定されており福岡市博物館に展示されています。)
→ 金印七不思議
金印を所蔵する福岡市博物館
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