元寇記念碑「亀山上皇像」を建設した湯地丈雄が65歳で逝く
四十歳の時、福岡警察署長として福岡に赴任する。湯地は「大国難である元寇の舞台となった博多に、記念碑がないのはおかしい」と常々感じていた。
そんな時、長崎で北洋艦隊事件が起こる。その視察・調査のため長崎に赴いた湯地は、国力のなさから日本側が泣き寝入りしたことに唇をかみしめた。頭に浮かんだのは国土を踏みにじられた蒙古襲来の惨禍。
「国防精神を養わなければ、いつか日本は元寇どころではない外患を受けるかもしれない」と帰福して知事に国防大治安論を提唱。
苦労の連続であったが湯地が運動を始めてから十六年、一九〇四(明治三十七)年九月、ついに山崎朝雲作の元寇記念碑が完成した。元寇時に敵国降伏を伊勢神宮に祈願された亀山上皇の銅像(高さ二十一・五㍍)である。
元寇記念碑 湯地丈雄
1847年04月04日~1913年01月10日
弘化4年~大正2年
熊本県生まれ / 第10代福岡県警部福岡所長を辞し、国防大治安論を宣揚し、明治37年に福岡市東公園の亀山上皇像を完成させる。
「明太子の誕生日
1949(昭和24)年1月10日博多中洲の小さな店「ふくや」の店頭に並べられたのが始まりです。
明太子 川原俊夫
1913年~1980年
妻千鶴子と1949年(昭和24年)1月10日に博多中洲の地で明太子を発売する。
「明太子」誕生物語り 対談:平成5年11月 西日本シティー銀行「博多に強くなろう」より
お話:川原 千鶴子 氏(元 株式会社ふくや社長)
聞き手:西島 伊三雄 氏(博多町人文化連盟理事長)
司会・文責:元福岡シティ銀行広報室顧問 土居善胤
川原 博多の名物になってしまってびっくりしていますが、戦前、主人も私も韓国の釜山に住んでいたのが、明太子との縁の始まりですね。私たちの毎日のお惣菜に、キムチと明太子は欠かせませんでしたよ。
西島 で、その明太子はタラコで、スケトウダラの卵ですね。そこらへんがややこしい。
川原 スケトウダラのことを朝鮮語でミヨンテと言いますものね。漢字で明太、メンタイですね。その卵だから明太子でミヨンテコ、メンタイコになったのです。加工して辛子明太子、うちでは“味の明太子”と言っています。全然売れません。(笑)十年ぐらいは全く売れませんでしたね。そこでまたつくっては捨て、つくっては捨てばかりでした。(笑)その頃小学校の末っ子が捨て役で、いつも店員さんといつもこぼしていたそうです。それに当時のことですから、しゃれたガラスケースなどはありません。仕方がないので、金魚鉢をきれいに洗って、その中に明太子をつめて店においていました。
Posted by 管理者 at 2007-01-11 [ 先人紹介&エピソード ]





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