日露戦争で恩義あるセオドア・ルーズベルト大統領逝く
1919(大正8)年01月06日-恩義ある セオドア・ルーズベルト、第25代、第26代アメリカ合衆国大統領が逝去する。1905年には日露戦争で日本・ロシア間の調停をつとめ、停戦からポーツマス条約での和平交渉に尽力した。この和平交渉の斡旋によってルーズベルトは1906年ノーベル平和賞を受賞した。
福岡市出身の金子堅太郎が留学した時の大学時代の友人で新渡戸稲造の「武士道」を読み感銘した親日家であった。
明治憲法起草者 金子堅太郎
1853年03月13日~1942年05月16日
嘉永6年~昭和17年
福岡市中央区鳥飼に誕生し藩校修猷館に学ぶ。黒田藩留学生としてハーバード大学で法律、憲法、国際法を学ぶ。ハーバード大学の同窓生セオドア・ルーズベルト大統領と折衝し、日露戦争終結に貢献。
嘉永6年(1853年)生る。藩学修猷館を出た後、明治4年(1871年)黒田長溥公の援助で団琢磨とともに米国ハーバード大学に留学。帰朝後は伊藤博文を助け、大日本帝国憲法の制定に最も大きな功績を残した。また、ハーバードの学友であったセオドア・ルーズベルトの支援を得て、日露講話に奮迅の活躍をした。九州大学の誘致、八幡製鉄所の設置、さらには「福岡県立英語専修修猷館」再興の大恩人である。
詳細は WEV金子堅太郎 http://shuyu.fku.ed.jp/syoukai/rekishi/kaneko.htm
Posted by 管理者 at 2007-01-06 [ 先人紹介&エピソード ]





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