1900(明治33)年10月19日 - 第4次伊藤博文内閣が成立する。当時37歳の杉山茂丸の働きを著書「俗戦国策」で紹介する。
伊藤工作のため義太夫大会を連日開催し、多額の資金を渡し、政党結成を勧め、立憲政友会が出来る。茂丸は、山県有朋から「石田三成」だと罵られ、しばらく山県への接触を控える。伊藤内閣成立の際、伊藤の意向で警視総監就任を促されるが固辞。公債をアメリカの銀行に引き受けさせる仕事を頼まれる。
杉山茂丸 全身献体の快人
1864年08月15日~1935年07月19日
元治元年~昭和10年
福岡市天神町生まれ。国士・民間政治家(いわゆる浪人)だが、金融と経済こそ近代国家の基本と言う観点から、伊藤博文、山形有朋、桂太郎などを動かして、近代国家としての日本の方向付けを行なった。死体国有論の茂丸は1935年(昭和10年)のこの日に死去、夫婦で東大に献体されている。
Posted by 管理者 at 2006-10-20 [ 先人紹介&エピソード ]





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