夢と憧れを失うことなく生きた不世出の詩画人竹久夢二は1934(昭和9)年9月01日信州・富士見高原療養所で、結核のためひっそりと亡くなりました。享年49歳。ほっそりした柳腰の美人“夢二型美人”は大正期に一世を風靡しました。「待てど暮らせどこぬ人を・・・・」あの『宵待草』は彼の作品です。と今泉正顕氏は「人物なるほど『一日一話』」で語ってます。
竹久 夢二
1884年9月16日~1934年9月01日(明治7年~昭和9年)
岡山県生まれ/画家・詩人。本名は、茂次郎(もじろう)
1900(明治33)年17歳の2月に一家は岡山から北九州市八幡区大字枝光(現北九州市八幡区 山王1丁目)に移住し、八幡製鉄所に勤務した。明治34年(1901)18歳夏、東京へ出奔した。17年後に筑豊の炭鉱王といわれた伊藤伝右衛門に嫁いだ柳原白蓮が、1919(大正8)年に刊行した歌集「几帳の陰』と「幻の華」の表紙を手がける。
1923(大正12)年今日関東大震災で杉山茂丸宅(台華社)消失。子息の杉山泰道(夢野久作)、九州日報(現西日本新聞)の特派記者として上京、報道記事、スケッチを送り続ける。
福岡市中央区出身、杉山茂丸の長男で、香椎の杉山農園で探偵、猟奇、童話、伝記、ルポなど多彩な著作を遺す。代表作はドグラ・マグラ。
来る9月19日にふくおか未来立志塾塾頭神田紅さんが「筑紫の女王 柳原白蓮」を独演会で語る。
Posted by 管理者 at 2006-09-04 [ 先人紹介&エピソード ]





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