1985年(昭和60年)08月07日、日本人宇宙飛行士4人、土井隆雄、内藤(向井)千秋、毛利衛が公募で決まる。前年の1月に浮羽町に縁があるエリソン・ショウジ・オニツカがスペースシャトル・ディスカバリー号にて初飛行(任務宇宙飛行士)し、翌年の1月翌年1月28日2度目の宇宙にチャレンジし尊い犠牲者となった。
鬼塚承二 エリソン・ショウジ・オニツカ
1946年6月24日~1986年1月28日
昭和21年~昭和61年
アメリカハワイ州ハワイ島出身。1946年人類初の月到達の26年後、1985年1月24日、スペースシャトル・ディスカバリー号にて初飛行(任務宇宙飛行士)し、両親の出身地浮羽町に墓参。翌年1月28日2度目の宇宙にチャレンジで尊い犠牲者となった。
「1996年1月28日、その予期せぬ悲劇は起こった。米東部標準時間午前11時39分、轟音とともにケネディ宇宙センター39B発射台を離れたミッション51L「チャレンジャー」は72秒後に突然として紅蓮の炎に包まれた。この瞬間、最もアメリカ的な側面を代表する宇宙飛行士7人の尊い生命が失われた・・・・・その男の名を『エリソン・S・オニヅカ』という。エリソン・オニヅカの曽祖父は浮羽町の出身で名をイチヘイといった。エリソンは、1983年に妻や娘たちと母を連れて浮羽町にある鬼塚家代々のお墓参りへ訪れた。浮羽町では、エリソンを郷土の英雄として今でも語り継がれている。」と町では紹介し、 「宇宙で初めて箸を使い、すしを食べた男」と浮羽商工会議所は紹介している。
Posted by 管理者 at 2006-08-06 [ 先人紹介&エピソード ]





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