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小野妹子 最初の遣随使

607(推古15)年、7月03日に聖徳太子の命により初の遣随使・小野妹子が旅立つ。しかし博多港を発ったのが3日なのかは定かでない。

強大な隋に対等な立場をとり、妹子が呈した国書の冒頭に『日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)無きや』などとあって、煬帝(煬帝)を怒らせた。

翌年、妹子は答礼使裴(はい)清世を伴って帰国するが、隋の返書を百済(くだら)人に奪われたと偽り、奏進しなかったので問題になる。翌年、妹子は裴(はい)清世を送って再び派遣された。これには高向玄理(たかむこのくろまろ)、南淵請安(みなみぶちのじょうあん)、僧罠(そうみん)など8人の留学生が同行した。妹子は翌年帰国したが、留学生は隋末唐初の30年間も滞在し、その先進的な制度文物について学び、また王朝交代を見聞して帰国し、我が国の政治的文化的な発展に貢献する。特に645年の大化の改新あるいは以後の律令国家の形成に大きな影響を与えた。

コメント

その煬帝を怒らせた言葉ってなんですか?

Posted by あんあぁっあぁ at 2009-11-05

『日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)無きや』などとあって、煬帝(煬帝)を怒らせたのです。

『日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。・・・・」この言葉が怒らせたのです。何故なら中国人は中華思想の持ち主で、中国を世界の中心と常に考えており、日出づる処は中国であり、日の没する処は日本と考えております。しかも天子と対等の立場で物を申しているので怒ったのです。そのころの中国隋は今のアメリカをはるかに凌ぐ力を持った国でしたでしょう。

管理者

Posted by admin at 2009-11-06
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