県図書館で5月24日の毎日新聞で次の記事を読む。「『筑後川』の作曲家団伊玖磨さんが、祖父団琢磨が100年先を見据えて三井三池を開発したようにいまだ開発されてない人の心に迫る音楽を見つけたかった。」
「筑後川」は「久留米音響合唱団」の創設5周年記念の合唱曲として作られた、作詞は地元の丸山豊さんであり、作曲は団伊玖磨さんである。団伊玖磨さんの祖父は福岡藩生まれで、明治、大正、昭和初期に実業、財界で活躍、三井合名会社理事長となり、三池港を築港した団琢磨さんであった。
団琢磨 三井合名会社理事長
1858年08月01日~1932年03月05日
安生5年~昭和7年
福岡市中央区生まれ / 明治大正期にかけてわが国の工業化、近代化に尽くした功績大。血盟団員の狙撃を受けて死去。
福博の夏祭り「博多祇園山笠」は今日から15日まで。この祭りの繁栄に貢献した人は
古島一雄 山笠廃止の危機を救う
1898年(明治31年)に時の福岡県知事と警察が「丈の高い山笠が頻繁に電線を切断する」「半裸の舁(か)き手は野蛮」などの理由で山笠廃止を打ち出した。博多の人達に助力を求められた古島九州日報主筆は、新聞で約1ヶ月間、山笠廃止反対の論陣を張り、
一方博多っ子たちに[山笠を低くすれば電線は切らぬ。半裸が悪ければ法被を着ればよい]と説得し仲裁役を買って出て山笠を守った。
落石栄吉 祇園院栄空山笠居士
1898年09月28日~1978年05月08日
明治31年~昭和53年
福岡市生まれ / 戦後博多祇園山笠復興に取り組み、博多町人文化の保存に多々貢献する。マスコミが「山笠博士」と呼んだ落石さんの戒名は「祇園院栄空山笠(さんりゅう)居士」。
6月08日付けの西日本新聞朝刊聞き書きシリーズの「おいしょ!山笠」で元博多祇園山笠振興会会長石橋清助氏が詳しく紹介されておられる。
中対馬(つま)小路(しょうじ)(現古門戸(こもんど)町(まち))で料亭「やま利」を経営。著書「博多祇園山笠史談」(昭和36年)「博多復興史」で戦後の博多の復興を紹介する。「空襲で中止になった昭和20年の一番山笠が大黒流で、中対馬小路が当番町だったから」と言う使命感から大黒流の落石さんは博多祇園山笠振興会の初代会長を務める。
Posted by 管理者 at 2006-07-03 [ 先人紹介&エピソード ]





コメント