1884年06月01日、福岡市西新町の農家に二女として生まれる。明治35年(1902年)弟の死を転機として一生を教育の道にささげ、優れた家庭科の教員になろうと上京を決意。大正10年(1921年)横浜市の新設校・岡野高等小学校家庭科訓導として転任し、料理と家事科の勉強に熱中。ここで「中村式移動水流し」を発明、また玄洋社頭山満翁の紹介でインド独立運動の志士ビバリーブースが婿養子に入った中村屋のカレーライスを学び「中村ハル式カレーライス」を作り上げた。さらに関西地方の料理勉強神戸市の小学校に転任。そこで認められて兵庫県視学委員となる。
昭和5年(1930年)郷里福岡に帰り、九州高等女学校教諭となる。戦後、昭和24年(1949年)1月64歳の時に中村割烹女学院を創設、昭和40(1965年年)学校法人中村学園大となり中村学園大学、短大、女子高校、幼稚園、料理学園を持つまでに発展した。人間教育の三つの徳目として「清節、感恩、労作」を掲げる。
1968年09月02日努力の上に花が咲くの信念で教育に尽くした88年の生涯を閉じた。
食を通して人をつくる
創立五十周年を迎えた中村学園、今年は創設者・中村ハル生誕百二十周年の年でもあります。戦後、関東大震災後の食糧難時代において、日本人の身体づくりを考え、六十四歳にして学園を設立しました。
中村ハルは1884年、福岡県早良郡(現・早良区)西新町に生まれた。八歳で母親を亡くし、家事を一手に引き受けたという。人一倍勉強好きで十七歳で教育の道を志し、弟・関次郎の死をバネに、家庭科教育に取り組む。横浜で関東大震災に見舞われながらも、郷里の福岡に戻り、九州高等女学校で十八年間教壇に立つ。
1949年、「美味しく栄養ある料理が作れる女子を育てなければ」と、六十四歳にして中村割烹女学院を創設した。1954年に福岡高等栄養学校(現・中村学園大学短期大学)を開校、1957年に中村栄養短期大学設置、1965年には、「食物栄養学科」と「児童学科」を設置した中村学園大学を開校した。
ハルの教育理念は、学力の優劣より、「人として」が基本。だからといって勉学の指導に手を抜くわけではなく、他の教師に比べひときわ厳しかったという。校門の前に立って、生徒が服装の乱れた格好で門をくぐろうとすると、「帰りなさい」と厳しくしかり、生徒のしつけができていない教師の指導までした。
1971年、教育一筋に尽くし、八十七年の生涯に幕を閉じる。教育の道七十年、料理研究五十年。よく口にしていた「努力の上に花が咲く」は、現在も学園において脈々と語り継がれている。
学校法人 中村学園理事長 中村量一氏
Posted by 管理者 at 2005-12-04 [ 先人紹介&エピソード ]





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