「出会い」は呼吸と同じ

この世での最初の出会いは母。私を生んでくれた母は古いアルバムの中にいる。産声を上げた1939年4月21日、産後の床に横たわる優しいまなざしの女性である。

次に父。こちらも残された写真での出会いだけ。軍人の父は、私が3歳になった1941年にイタリア大使館武官としてシベリア鉄道でヨーロッパに渡り、ドイツへ赴任した。2年後の1943年6月、軍事課長を拝命。フランスのボルドー港よりイタリア潜水艦で帰国の途中、イベリア半島沖で行方不明になり、戦死の報が届いた。

次の印象的な出会いの記憶は小学校5年生のとき。男勝りの姉に鍛えられたという坂本竜馬の本を読み、9歳と11歳上のふたりの姉の間で成長した私と同じ境遇の龍馬は、私の憧れの人物となった。

「出会い」は呼吸のようなものだ。いつも意識してやっているわけではない。しかし、出会いが無くては生きていけない。人格をつくり、人生の幅を広げ、運命をも決める何よりも大切なものである。

東京転勤で「運命の人」に会う

尊敬する人物に毛沢東と南方熊楠と書き、福岡市に本社を置くブロック紙N社の広告局に志望通り入社した2年後の1965年の夏、東京支社広告部に転勤した。当時は大量生産、大量消費が叫ばれ、新聞社の収入の柱は部数で稼ぐ販売から広告に移り、全体の50%を超えようとしていた。広告収入をエリア別に見ると、東京支社が福岡本社を大きく上回っており、花のお江戸への栄転であった。

福岡で広告の主流をなすデパートを中心とする流通業界を独りで担当していた私は、意気揚々として東京に乗り込んだ。ところが配属先は積極的には広告を出さない八幡製鐵(現新日鐡住友)や三菱銀行等、いわゆる硬派の広告主と我々の兄弟分であるNスポーツ紙の広告を扱う第2課であった。しかも前年に東京オリンピックが開催された反動で、広告主は誰も相手にしてくれない。

毎日、都内の広告代理店を回っていたが、ある日、運命的な出会いが待っていた。神田界隈にある広告代理店・経広社に勤めていた入社1年の森誠一君だった。

「象学」の実験台になる

最初から馬が合って、一緒に「食のオリンピック」を題材に広告企画を立てて、ホテルやレストランの広告を募集するなかで、彼の生い立ちや哲学を聞かせてもらった。

本人は自分の生い立ちに深い悩みを抱えていた。仏教からキリスト教などいろんな宗教に救いを求めたが、苦悩から抜け出せず自殺まで図ったという。

そのなかで出会ったのが「象学」。私はそんな学問があるとは知らなかった。辞書にも載っていない。森君によれば、中国から発生した四柱推命学や気学、風水、方位学等の研究を基に、彼が到達した哲学で、師匠は福岡におられたとか。

象学をごく簡単に説明すると、人間は各人がオンリーワンであり、生まれた生年月日、時間を基に、その運命は天の時、地の利、人の和で決まっていくという。

森君はこの研究を通して、260年に及ぶ江戸時代を築いた徳川家康の参謀・僧天海を目指すと断言した。自分は表にこそ出ないが、会得した象学を活かして知恵袋に徹し、天下を動かしてみせるというのである。私はこんな男に出会ったのだ。

迷わず自分が彼の目的の実験台になることを申し出た。そのとき私は25歳。以来、素直に彼の言う通りに動いた。すると、やることなすことがうまくいくではないか。森君と道連れの20数年間、彼は私の運命の預言者であり、人生の羅針盤であり、最高の助言者であった。

こんなとんでもない人材がいることをもっと知ってもらいたくて、私は森君のマネージャー役を買って出た。お陰で政治や芸術文化の分野で活躍中の数多くの人間力豊かな人たちと出会うことができた。自分を高めてくれる出会いが次のいいご縁を呼ぶ上昇サイクルがまわり始めたと私は確信した。

「自分と未来は変えられる」

一心同体も同然の間柄だった森君が亡くなって○年が過ぎた。その彼に教えてもらった言葉が「一即多、多即一」である。そのときの彼の声が今も心に残っている。

「この世はあなたがいなければ存在しない、少なくともあなたにとって。だからあなたが出会う周囲の人たちも、政治や経済のできごとも、すべてあなたの映しです。良いことも悪いこともあなたの一部であり、あなた自身が変わらなければ、世の中は変わらないよ」

「親や先祖やあなたの周りの人たちがいなければ、あなたが存在しないのも事実です。だから親や兄弟をはじめとする世の中に感謝しなければならない」

「一粒の雨が水たまりになり、せせらぎになって、小川に注ぎ、やがて大河から大海になる。大海の海水が蒸発し、また一粒の雨になる」

私は大いに共感して、「一即多、多即一」は座右の銘になった。

この言葉をいただいたのは50代半ばのころ。それからは「世の中のすべての現象は自分の映しなのだ。妻の発言が頭にきても、首相の発言が意に沿わなくても、相手を変えることはできない。自分が変わる以外ないのだ」と自らに言い聞かせてきた。

「一即多、多即一」。「過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる」。

そうなのだ、自分を変えなければ、そのためにはもっと勉強しなければ、と歳を重ねるごとに切実に思うようになっている。

山手晋

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