時代の快男児、ホラ丸登場!

その男、誰が名付けたか「ホラ丸」

言うこと成すことスケールが大き過ぎて、常人には理解しがたい。人は時として自分にインプットされていない未分野の知識や理解不能の場面や人物に遭遇すると、「変なモノ」「変なヒト」として頭の上の方に棚上げしてしまうことがある。理解できないことは理解したくない、あるいは理解しなくても問題ナイものとして片づけてしまうのである。ホラ丸は、そんな人物の一人かもしれない。

ホラ丸と世間から呼び名されたのだ。大いに結構、上等じゃねえか。どうせなら天下一のホラ丸になってやろうぜ、と思ったのかどうか。杉山茂丸は縦横無尽に黎明の明治日本を駆け回り、快進撃のエンジンとなった男である。

杉山茂丸

元治元年(1864年)8月15日、福岡藩士・杉山三郎平の長男として生まれた。もとは戦国時代に勇名を馳せた竜造寺隆信の末裔ともいう。

時代はまだ、幕末動乱にあり、池田屋騒動に京都は荒れ、下関では外国艦隊の砲撃があり、佐間象山が暗殺される時代であった。

明治三年、数え七歳で藩主黒田長博の太刀持ち小姓となったというから利発な少年だったのだろう。だが、一年も経たずに廃藩置県となり禄を失う。サムライ稼業に見切りをつけたのか、帰農を決めた父・三郎平に従って、遠賀郡芦谷村に移住。

しかし、当然といえば当然だが、士族の商いがうまくいった試しはほとんどない。貧困生活を余儀なくされるのであった。そんな中、ある出来事が起きる……。

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