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運営:ふくおか新遊民倶楽部(旧二〇〇七年の会)
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1947年03月15日~2004年12月30日

福岡県朝倉市朝倉町に誕生、囲碁界のビッグタイトルである名人、十段、王座、棋聖、天元、  本因坊などを獲得した我が国代表的棋士で、棋界の改革に取り組む。

1582年~1602年12月01日
秀吉の養子から名島城主で小早川隆景筑前領主の養子になり、関が原で東軍大勝の因を作った戦国武将。

1914年12月14日~1995年10月30日
大正3年~平成11年

福岡県田主丸町  京都近代美術館館長、美術評論化連盟会長、京都造形芸術大学学長など歴任し、日本美術界に貢献する。京都近代美術館館長、美術評論家連盟会長、京都造形芸術大学学長、横浜市美術振興財団理事長、美術館連絡協議会理事長などを歴任。著書には『画人游歴』『昨日今日の作家たち』(芸艸堂)、『河北倫明美術論集』(講談社)、『河北倫明美術時評集』(思文閣)などがある。

東京営団地下鉄の路線図ポスターで一躍有名になり、下町のナポレオンいいちこの宣伝責任者アートディレクター河北秀也氏の伯父にあたる。

1911年03月21日~1995年07月04日
明治44年~平成11年

山門郡瀬高町出身。六字斎観峰と号し、福岡を中心に全国に書道を普及。世界平和のために国際交流に尽くす。

1844年01月11日~1916年11月01日
弘化元年~大正5年

直方市出身・1885年(明治18年)鞍手郡宮田町に大之浦炭鉱を開坑し、「貝島王国」の基礎を築いた。石炭鉱業以外を求めない家憲は有名。1976年08月05日、筑豊最後の大手炭鉱として閉山する。

1851年11月07日~1937年11月15日
嘉永4年~昭和12年

福岡市中央区生まれ / 米国に留学。日米条約改正を成立を始め、近代日本の歩みに大きく貢献した外交官。駐露公使として、ロシア政府に国交断絶の通告公文を提出する。

1202年10月15日~1282年08月25日
建仁2年~弘安5年

博多生まれの博多商人、鎌倉時代の1241(仁治2)年南宋から承天寺を建立した聖一国師と共に持ち帰った唐織が博多織の始めであると言われている。墓は博多承天寺にある。

1884年09月16日~1934年09月01日

岡山県生まれ/画家・詩人。本名は、茂次郎(もじろう)、1900(明治33)年17歳の2月に一家は岡山から北九州市八幡区大字枝光(現北九州市八幡区 山王1丁目)に移住し、八幡製鉄所に勤務した。明治34年(1901)18歳夏、東京へ出奔した。17年後に筑豊の炭鉱王といわれた伊藤伝右衛門に嫁いだ柳原白蓮が、1919(大正8)年に刊行した歌集「几帳の陰』と「幻の華」の表紙を手がける。

夢と憧れを失うことなく生きた不世出の詩画人竹久夢二は1934(昭和9)年09月01日信州・富士見高原療養所で、結核のためひっそりと亡くなりました。享年49歳。ほっそりした柳腰の美人“夢二型美人”は大正期に一世を風靡しました。「待てど暮らせどこぬ人を・・・・」あの『宵待草』は彼の作品です。と今泉正顕氏は「人物なるほど『一日一話』」で語ってます。

1890年~1982年05月29日

福岡県田川郡生まれ、元首相東条英機大将の未亡人として1982年(昭和57年)、91歳の波乱万丈の人生を東京・世田谷の自宅で終える。

1931年01月20日~1992年06月10日
昭和6年~平成4年

久留米市出身の作曲家・ジャズピアニスト。1950年代末から1960年にかけて、「上を向いて歩こう」や「こんにちは赤ちゃん」など永六輔とのコンビで数々のヒット曲を出す。1959(昭和34)年12月27日、「黒い花びら」で第1回レコード大賞は受賞する。作詞永六輔、歌手水原弘

旧制中学明善、早稲田大学高等学院、早稲田大学文学部卒業。学生時代に音二郎の再来と言われる渡辺晋とシックスジョーズで活動、1953年からドラマージョージ川口率いるカルテット「ビッグ4」で活躍。当時の大衆的ジャズブームの渦中で非常な人気を得た。1950年代末からは作曲家として数々のヒット曲を生み、1959年の「黒い花びら」(作詞・永六輔、歌・水原弘)で第一回日本レコード大賞を受賞。

主な作曲作品 「上を向いて歩こう」(坂本九)、「黒い花びら」(水原弘)、「こんにちは赤ちゃん」(梓みちよ)、「遠くへ行きたい」(ジェリー藤尾)、「世界の国からこんには」(三波春夫)、「帰路かな」(北島三郎)、「夢で逢いましょう」(坂本スミ子)

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