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運営:福岡スピリッツプロジェクト(iSEN、ふくおか新遊民倶楽部)
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1913年03月16日~2003年03月05日

国内有数の外科医で僻地医療問題に注目、奉仕。登山家として85歳で200回目の海外登頂に成功。

福岡市天神に誕生。大名小、福岡中、旧制福岡高、九州大学に進み、1937(昭和12)年九州大学医学部を卒業。医博。九州大第2外科助教授を経て、昭和27年、久留米大学医学部外科教授。消化器外科を主として、胃の手術例は3千回以上。昭和43年、久留米大ネパール医学調査診療隊長。1978(昭和53)年退職、名誉教授。
この間、1961(昭和36)年、64年の2回、アフリカ・ランバレネのシュバイツアー病院で2ヶ月間医療奉仕、親しくシュバイツアー博士の教えを受ける。1961(昭和36)年、国際外科会出席のため初渡欧したのを機会に、ユングフラウ、マッタンホルンに登頂。アルプスに魅せられ、ほとんど毎年のように外国の山を目指し、ヨウロッパばかりでなく、北極圏、中東、南米、アメリカ、ニュージーランド、中国、台湾など世界各国の高峰に登山。88年8月17日、11度目のマッタンホルーン(4478メートル)登頂、75歳で海外100登山、98年、85歳で海外200登山を達成。90歳での250回を目標にその後も登頂を重ね、243回になっていた。

1871年09月~1913年

福岡市中央区生まれ / 能楽師梅津只圓の娘で、1895(明治28)年夫の野中至氏を助け、厳冬期の富士山気象観測に挑む。同年08月30日に完成した日本最初の富士気象観測所で、10月01日から夫妻で気象観測を開始する。日本気象学に貢献。

1867年~ 

福岡市城南区生まれ / 1895年(明治28年)08月30日、私財を投じて日本最初の富士気象観測所をつくり、10月01日夫妻が富士山頂で気象観測を開始する。日本気象学に貢献。

1871年~1943年01月

佐賀県東松浦郡生まれ / 1906年(明治39)10月私立産婆養成所(のち福岡産婆学校)を設立、教育者、経営者、医師として活躍。

1868年06月25日~1938年02月15日

埼玉県吉見町生まれ / 福沢諭吉の娘婿で、松永安左衛門と福岡九州の電力供給と市内電車の創設に貢献する。

1878年06月30日~1908年10月16日

豊前市黒土町 / 1901年に「飛翔理論」を脱稿、森鴎外が「天馬行空」の書を遺族に贈った。自動算盤や早繰辞書なども発明。

1920年10月23日~1998年11月19日
北九州市小倉南区生まれ / 1953年シカゴ大学に招かれ、ダウンバースト(下降噴流)とトルネード(竜巻)の研究で世界的権威となったアメリカ合衆国の気象学者。その業績からMr.Tornado(ミスター・トルネード)、Dr.Tomado(竜巻博士)とよばれ航空安全にも寄与した。

1873年11月26日~1972年05月08日

佐賀県三養基郡生まれ / 、識見が高い熟練工で高炉の神様といわれる。終身職であり定年制は適用されない。

1890年12月05日~1981年08月08日

北九州市八幡西区生まれ / 「大いなる決断」と話題になるナイロンの技術導入に成功し、戦後の繊維革命の幕を開く。

1873年07月05日~1952年01月29日

大分県東国東郡生まれ / 九大の医学部長。哺乳動物心臓の電気的刺激伝道路発見は、現在世界で年間100万人以上の命を救う。

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