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運営:福岡スピリッツプロジェクト(iSEN、ふくおか新遊民倶楽部)
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1847年08月07日~1894年01月
弘化4年~明治27年

福岡市早良郡出身。勤皇党に参加し、「乙丑の獄」で入獄、西南の役で警察抜刀隊を指揮し、功を立て、内務卿の伊藤博文に取り立てられ北海道の開拓を託される。北海道樺戸集治獄の初代典獄(刑務所長)として囚人に過酷な労働を科し、石狩川流域の土木治水に務める一方、樺戸、上川、雨童の3郡長を兼務し、郵便局、登記所、警察、病院の朝の役割を果たす。このため地域住民の支持を得て地名も月形となる。1885年病気のため帰福、後中央と福岡を結ぶパイプ役として九州鉄道開設を始め近代化に尽くす。

著書の「北海道監獄用地探検記」は「北海道回覧記」と称されて当時の樺戸地方の貴重な地誌である。福岡勤皇党のリーダー月形洗蔵の親戚である。

1860年01月07日~1927年11月01日
万延元年~昭和2年

熊本県、農学者・農業経済学者で、東京帝国大学教授・東京農業大学初代学長である。「稲のことは稲に聞け、農業のことは農民に聞け」という言葉は有名。

1882(明治15)年3月福岡県農学校教諭となり、さらに福岡勧業試験場長に就任し近代農業発展に寄与した。特に特筆すべきことは塩分濃度の高い塩水に種籾を浮かべ種籾の良し悪しを判断できる、種籾の塩水選種法、塩水選(塩水選種法)の考案確立である。

*06月08日は米の日だが、福岡県は米に縁が深い。1950(昭和25)年1月に在野の考古学研究者・中原志外顕(しげあき)が発見した日本最古の水稲耕作跡「板付遺跡」があり、横井時敬が「わが国の農業技術の中では、最も古く、最も長命で、現在でも広く普及している技術」塩水選法を確立した。

1868年10月09日~1940年01月17日

明治元年 ~ 昭和15年

遠賀郡折尾町(北九州市八幡西区)生まれ。実業家、篤志家。

石炭商で財をなし、育英に志し、多くの秀才の学資を援助した。1921年資金問題で行き詰っていた東京府美術館の建設に100万円を寄付、財団法人若松救療会設置など社会奉仕を続けた

1891年05月15日~1984年11月26日 明治24年~

佐賀県唐津市生まれ/小倉工業高校から八幡製鉄所に勤務。早大から建築界に進み、北九州市八幡のを強く受けて60余年にわたり日本建築史に足跡を残した。戦後の代表作の一つは、世界各地の浄財で創られた広島の世界平和記念聖堂である。1953年(昭和28年)に完成、2006年(平成18年)に戦後建築初の重要文化財指定を受ける。

1866年07月02日~1952年01月29日

日本初の林学博士で「公園の父」、1924年に大濠公園を新設設計。東大教授で大富豪、定年時に全財産を寄贈する堂々たる金銭哲学を持つ。

~1546年(天文15)10月22日

戦国時代の博多の豪商(勘合貿易商)。2007年(平成19年)に、ユネスコの世界遺産への登録が決定された石見銀山を1526(大永6)に発見。

出雲の鷺(さぎ)銅山に銅を仕入れに行く途中、石見銀山を発見し、銀鏈(れん)を筑前に運んで巨利を得た。次いで1533年(天文2)博多の吹工宗丹・桂寿を伴ってこの山に行き、銀を吹き白銀をとることに成功した。

1844年01月11日~1916年11月01日
弘化元年~大正5年

直方市出身・1885年(明治18年)鞍手郡宮田町に大之浦炭鉱を開坑し、「貝島王国」の基礎を築いた。石炭鉱業以外を求めない家憲は有名。1976年08月05日、筑豊最後の大手炭鉱として閉山する。

1202年10月15日~1282年08月25日
建仁2年~弘安5年

博多生まれの博多商人、鎌倉時代の1241(仁治2)年南宋から承天寺を建立した聖一国師と共に持ち帰った唐織が博多織の始めであると言われている。墓は博多承天寺にある。

1846年~1918年09月22日
弘化3年~大正7年

ドイツ生まれ、1886(明治19)年11月に来日。九州鉄道の建設を指導し経営上でも助言を与え、九州鉄道の隆盛の基礎をつくった大恩人。

鉄道88周年の1960(昭和35年)にレリーフが制作され、博多駅コンコースに飾られた。

2006年創業50周年を迎えた福岡市に本社を持つ空研工業株式会社の創業者である。空調用冷却塔の国内市場で50%近いシェアーを誇る空調設備のリーディングカンパニーで「快適環境」の創造を目指す。戦後間もないころ、春日原の米軍キャンプでかまぼこ形の兵舎にも冷房が入っているのに驚き、やがて日本にも「空調の時代がやってくる」と予感したことが原点だそうだ。

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