1891年05月15日~1984年11月26日 明治24年~
佐賀県唐津市生まれ/小倉工業高校から八幡製鉄所に勤務。早大から建築界に進み、北九州市八幡のを強く受けて60余年にわたり日本建築史に足跡を残した。戦後の代表作の一つは、世界各地の浄財で創られた広島の世界平和記念聖堂である。1953年(昭和28年)に完成、2006年(平成18年)に戦後建築初の重要文化財指定を受ける。
1891年05月15日~1984年11月26日 明治24年~
佐賀県唐津市生まれ/小倉工業高校から八幡製鉄所に勤務。早大から建築界に進み、北九州市八幡のを強く受けて60余年にわたり日本建築史に足跡を残した。戦後の代表作の一つは、世界各地の浄財で創られた広島の世界平和記念聖堂である。1953年(昭和28年)に完成、2006年(平成18年)に戦後建築初の重要文化財指定を受ける。
1866年07月02日~1952年01月29日
日本初の林学博士で「公園の父」、1924年に大濠公園を新設設計。東大教授で大富豪、定年時に全財産を寄贈する堂々たる金銭哲学を持つ。
博多の豪商。2007年(平成19年)に、ユネスコの世界遺産への登録が決定された石見銀山を1526(大永6)に発見。
1844年01月11日~1916年11月01日
弘化元年~大正5年
直方市出身・1885年(明治18年)鞍手郡宮田町に大之浦炭鉱を開坑し、「貝島王国」の基礎を築いた。石炭鉱業以外を求めない家憲は有名。1976年08月05日、筑豊最後の大手炭鉱として閉山する。
1202年10月15日~1282年08月25日
建仁2年~弘安5年
博多生まれの博多商人、鎌倉時代の1241(仁治2)年南宋から承天寺を建立した聖一国師と共に持ち帰った唐織が博多織の始めであると言われている。墓は博多承天寺にある。
1846年~1918年09月22日
弘化3年~大正7年
ドイツ生まれ、1886(明治19)年11月に来日。九州鉄道の建設を指導し経営上でも助言を与え、九州鉄道の隆盛の基礎をつくった大恩人。
鉄道88周年の1960(昭和35年)にレリーフが制作され、博多駅コンコースに飾られた。
2006年創業50周年を迎えた福岡市に本社を持つ空研工業株式会社の創業者である。空調用冷却塔の国内市場で50%近いシェアーを誇る空調設備のリーディングカンパニーで「快適環境」の創造を目指す。戦後間もないころ、春日原の米軍キャンプでかまぼこ形の兵舎にも冷房が入っているのに驚き、やがて日本にも「空調の時代がやってくる」と予感したことが原点だそうだ。
1909年01月28日~2006年05月23日
長崎県福江島に生まれ/1958年に矢野特殊自動車の協力で日本初の国産第1号の冷凍車を作り、今日のコールドチェーン(冷凍輸送)の礎を築いた福岡倉庫、福岡運輸の創業者。
冷凍車は米軍の要請を「いつの日か、日本中に冷凍庫で生鮮食料品を運ぶ時代がやって来る」との閃きで受け入れたのがスタート。
1902~1974年08月26日
アメリカ合衆国 の飛行家
1931年(昭和6年)08月26日、大西洋無着陸横断飛行で有名なリンドバーク夫妻(Charles A Lindbergh & Anne Morrow Lindbergh)が単発水上飛行機(ロッキード・シリウス)で世界一周の途中に来日(08月24日根室に着水、08月26日に霞が浦到着)。09月19日に福岡から中国向け出発、しかし漢口で事故のため飛行を断念。1974(昭和49)年の8月26日、ハワイで逝去。
1927年5月,ニューヨーク-パリ間を世界最初の無着陸飛行に成功したアメリカの飛行家。リンドバーグは飛行中隊(中尉)退役後,航空会社の主任パイロットとして活躍,曲乗り飛行の名手でもあったが,1927年05月20日,「スピリット=オブ=セントルイス号」でニューヨークを離陸し,33時間32分,約5,800kmを無着陸で飛行し,翌21日夜パリ着陸に成功した。飛行の状況については,のちに彼の著書に書かれているように,一人のパイロット飛行であったため睡魔と孤独の恐怖が一番大きかったという。彼が出発のときから,アメリカ中が興奮し,クーリッジ大統領は巡洋艦による帰還の歓迎を示し,最高の栄誉功労章を送り,大佐に昇進させた。しかし,のちの彼の生涯は暗く,2歳の長男誘拐・殺害事件,また第二次世界大戦参戦に反対することによる孤立化などがあった。
〔参考文献〕リンドバーグ,佐藤亮一訳『翼よあれがパリの灯だ』新潮社
1847年~1922年04月30日
弘化4年~大正11年
西南戦争で博多湾から田原坂への荷役で稼いだ怪商。アロー号誕生を支援し日本自動車産業のパイオニアの一人。
1877(明治10)年03月03日西南戦争で政府軍と西郷軍が田原坂で最大の激戦開始。当時30歳の村上義太郎は博多湾から田原坂への荷役で大儲けする。後に私設燈台を建設し、博多の怪商といわれたが、矢野特殊自動車創設者・矢野倖一が最古の国産車アロー号を誕生させるのを支援した。