博多の豪商。2007年(平成19年)に、ユネスコの世界遺産への登録が決定された石見銀山を1526(大永6)に発見。
1844年01年11日~1916年11月01日
弘化元年~大正5年
直方市出身・1885年(明治18年)鞍手郡宮田町に大之浦炭鉱を開坑し、「貝島王国」の基礎を築いた。石炭鉱業以外を求めない家憲は有名。1976年08月05日、筑豊最後の大手炭鉱として閉山する。
1202年10月15日~1282年08月25日
建仁2年~弘安5年
博多生まれの博多商人、鎌倉時代の1241(仁治2)年南宋から承天寺を建立した聖一国師と共に持ち帰った唐織が博多織の始めであると言われている。墓は博多承天寺にある。
1846年~1918年09月22日
弘化3年~大正7年
ドイツ生まれ、1886(明治19)年11月に来日。九州鉄道の建設を指導し経営上でも助言を与え、九州鉄道の隆盛の基礎をつくった大恩人。
鉄道88周年の1960(昭和35年)にレリーフが制作され、博多駅コンコースに飾られた。
2006年創業50周年を迎えた福岡市に本社を持つ空研工業株式会社の創業者である。空調用冷却塔の国内市場で50%近いシェアーを誇る空調設備のリーディングカンパニーで「快適環境」の創造を目指す。戦後間もないころ、春日原の米軍キャンプでかまぼこ形の兵舎にも冷房が入っているのに驚き、やがて日本にも「空調の時代がやってくる」と予感したことが原点だそうだ。
1909年01月28日~2006年05月23日
長崎県福江島に生まれ/1958年に矢野特殊自動車の協力で日本初の国産第1号の冷凍車を作り、今日のコールドチェーン(冷凍輸送)の礎を築いた福岡倉庫、福岡運輸の創業者。
冷凍車は米軍の要請を「いつの日か、日本中に冷凍庫で生鮮食料品を運ぶ時代がやって来る」との閃きで受け入れたのがスタート。
1902~1974年08月26日
アメリカ合衆国 の飛行家
1931年(昭和6年)08月26日、大西洋無着陸横断飛行で有名なリンドバーク夫妻(Charles A Lindbergh & Anne Morrow Lindbergh)が単発水上飛行機(ロッキード・シリウス)で世界一周の途中に来日(08月24日根室に着水、08月26日に霞が浦到着)。09月19日に福岡から中国向け出発、しかし漢口で事故のため飛行を断念。1974(昭和49)年の8月26日、ハワイで逝去。
1927年5月,ニューヨーク-パリ間を世界最初の無着陸飛行に成功したアメリカの飛行家。リンドバーグは飛行中隊(中尉)退役後,航空会社の主任パイロットとして活躍,曲乗り飛行の名手でもあったが,1927年05月20日,「スピリット=オブ=セントルイス号」でニューヨークを離陸し,33時間32分,約5,800kmを無着陸で飛行し,翌21日夜パリ着陸に成功した。飛行の状況については,のちに彼の著書に書かれているように,一人のパイロット飛行であったため睡魔と孤独の恐怖が一番大きかったという。彼が出発のときから,アメリカ中が興奮し,クーリッジ大統領は巡洋艦による帰還の歓迎を示し,最高の栄誉功労章を送り,大佐に昇進させた。しかし,のちの彼の生涯は暗く,2歳の長男誘拐・殺害事件,また第二次世界大戦参戦に反対することによる孤立化などがあった。
〔参考文献〕リンドバーグ,佐藤亮一訳『翼よあれがパリの灯だ』新潮社
1864年01月06日~1926年03月27日
元治元年~昭和元年
三潴郡鳥飼町(久留米市梅満町)出身
1888(明治21)年12月15日、25歳で渡米。ストックトン市で「シマファンシー」という商品名の馬鈴薯で億万長者になる。ストックトンのサンオーキンデルタカレッジに記念館{シマセンター」がある。在米日本人会初代会長。サンマテオ郡コルマの日本人共同墓地に渋沢栄一子爵が建てた記念碑に「奮い立てよ若き人々よ、祖国のために」と書いてある。中国文学に造詣深く、「別天」と号し漢詩を作った。

