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運営:ふくおか新遊民倶楽部(旧二〇〇七年の会)
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1655~1708年11月10日
明暦元年~宝永5年

福岡藩の家老、詩歌文章に優れた文人。千利休の茶の精神をもとにして福岡藩の茶道、南方流を生み出した。書や和歌に長じ、貝原益軒の門人で禅寺も開基した当代随一の文化人だった。

名は五郎佐衛門重根、号は実山、のち出家して宋有。父重種は1万5千石の重臣で家督を長男重敬が相続。次男重根は3代藩主光之に45年間仕え、最後は隠居頭取として三千石余を受けた。詩歌文章に優れた文人で、貝原益軒の門人でもある。和歌は中院黄門通義卿に古今伝授を受け、26歳の時の歌は後水尾法皇の勅評を受けた。茶道は千利休と高弟の南坊宗啓の茶道の秘書とされる「南坊録(なんぼうろく)」を書写補足して、秘伝9カ条にまとめ「南坊録」7巻を著し、以後茶道界に南坊流宗匠としての名を残す。1707(宝永)年光之死去後出家し、住吉松月庵に閑居。翌年6月光之の継嗣をめぐる綱之騒動に巻き込まれ、嘉麻郡鯰田村に幽閉、同年11月綱之の命により殺害された。獄中記「梵字艸(ぼんじそう)」3巻がある。40年後、6代藩主継高により東林寺(博多区博多駅前3丁目)に改葬された。(西日本新聞発刊福岡県百科辞典・平山昌宏)

たちばなりゅう(なんぼうりゅう) とは

筑前黒田家家臣立花実山を祖とする。 江戸初期に成立。 織部流を本とし、道安流と遠州流を加味して、一派を開いた。 「南坊録」を基とするので、一名南坊流ともいう。

1041年~1111年11月05日
長久2年-天永2年

平安時代後期の代表的な公卿・学者。 1098年(承徳2)9月、大宰権帥として大宰府に赴任。堀河天皇の1101(康和3)年に菅原道真公の往時を偲び、国の弥栄と氏子の平安祈念。五穀豊穣を祈る神幸祭を始める。

1745年01月11日 ~ 1818年04月13日
延享2年~文化15年

江戸時代の商人・測量家。1800年から17年間測量し、死後1821年に「大日本沿海輿地全図」を完成。九州の測量は小倉を起点にして3回に及んでいる。1812年02月04日に長崎街道を南下した筑前山家駅に止宿した宿舎に山家宮原左太夫が挨拶に出る。

江戸時代の商人・測量家。幼名は三治郎。56歳から72歳まで晩年の17年間を歩き続けて日本全国の沿海と内陸の主要街道を測量し、1821年に精密な「大日本沿海輿地全図」を完成した。伊納図と呼ばれるこの地図は、大図36000分の1、中図、小図の3種類に分かれている。1800年蝦夷地の測量に始まる測量の旅は九州が最後で、それに要した日数、測量の路線でも他の地域と比べはるかに長大である。九州の測量は小倉を起点にして3回に及んでいる。

 第一回(1810・文化7年01月~8年01月)小倉から東海岸線を測り鹿児島、熊本、小倉に戻る。

 第二回(文化9年1月~7月)小倉から筑前六宿通り、薩摩街道を測る。02月04日に長崎街道を南下した筑前山家駅に止宿した宿舎に山家宮原左太夫が挨拶に出る。小倉城下に戻った07月14日、改めて福岡藩付きまわり代官として挨拶に出る。

 第三回(文化9年7月~10年10月)小倉から西海岸線を測り、平戸、壱岐、対馬、五島に渡り肥前、筑後、筑前の陸路を測って小倉に戻る。

1903年12月31日~1951年06月28日

北九州市門司区生まれ / 小説家。故郷喪失者の林文学は過酷な実生活に根ざしながらも詩情に富んでいる。

1898年09月28日~1978年05月08日

福岡市生まれ / 戦後博多祇園山笠復興に取り組み、博多町人文化の保存に多々貢献する。マスコミが「山笠博士」と呼んだ落石さんの戒名は「祇園院栄空山笠(さんりゅう)居士」。

2006年06月08日の西日本新聞朝刊聞き書きシリーズの「おいしょ!山笠」で元博多祇園山笠振興会会長石橋清助氏が詳しく紹介。

中対馬(つま)小路(しょうじ)(現古門戸(こもんど)町(まち))で料亭「やま利」を経営。著書「博多祇園山笠史談」(昭和36年)「博多復興史」で戦後の博多の復興を紹介する。「空襲で中止になった昭和20年の一番山笠が大黒流で、中対馬小路が当番町だったから」と言う使命感から大黒流の落石さんは博多祇園山笠振興会の初代会長を務める。

1864年08月01日~1919年11月26日

元治元年~大正8年

福岡市生まれ / 日露戦争に活躍し、「明石一人で大山満州軍20万に匹敵する」と賞賛を受ける。陸軍大将。第7代台湾総督。

1889年01月04日~1936年03月11日

福岡市中央区出身、杉山茂丸の長男で、香椎の杉山農園で探偵、猟奇、童話、伝記、ルポなど多彩な著作を遺す。代表作はドグラ・マグラ。

1886年~1943年09月12日

福岡市博多区生まれ / 玄洋社社員、櫛田神社宮総代で最上大業物検査役格の刀鍛冶師として活躍。

1885年01月25日~1942年11月02日

柳川市生まれ / 詩人、歌人、民謡童謡作家で「赤い鳥」の童謡運動に熱中した。「帰去来」の詩碑が故郷に建立されている。1902年(明治35年)の06月03日付け福日新聞(現西日本新聞)に伝習館中学4年生で最初の作品「虹」1首を発表。

1908(明治41)年12月12日に木下杢太郎ら耽美派詩人と「パンの会」を結成する。

安曇野を歩く

「パンの会」の会歌となった北原白秋の詩である。 「パンの会」は、「新詩社」を脱退して『スバル』に転じた白秋、木下杢太郎(もくたろう)、吉井勇らに石井柏亭、高村光太郎ら青年美術家を交えて明治41(1908)年12月、第1回の会合を開いている。

1890年11月27日~1955年06月18日

朝倉市生まれ / 大正・昭和の小説家、フランス文学者、評論家で「世界文学全集」第01回配本『レ・ミゼラブル』は、大反響を呼んだ。

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