1249年05月27~1305年09月15日
建長元年 - 嘉元3年
鎌倉時代中期の第90代天皇。国の存亡をかけた戦「元寇」の役で、上皇と後宇多天皇の父子は京の都から伊勢神宮に赴き、「我身を以って国難に代えたまえ」と祈願した。福岡市筥崎宮の楼門に上皇の宸翰(しんかん・天子の直筆)と伝わる「敵国降伏」と記された扁額(へんがく)が掲げられている。博多区東公園内にある銅像(像高4.84m)は、福岡県警察部長であった湯地丈雄(ゆじたけお)が国防思想と護国精神をより高めようと発案し、16年間の献身的活動により完成。1904(明治37)年に同公園にある日蓮上人像と同時に除幕式を行う。原型制作は、福岡出身の山崎朝雲であった。
2012-01-26 11:55. [ 政治・宗教 ] コメント(0) • [固定URL]
1847年08月07日~1894年01月
弘化4年~明治27年
福岡市早良郡出身。勤皇党に参加し、「乙丑の獄」で入獄、西南の役で警察抜刀隊を指揮し、功を立て、内務卿の伊藤博文に取り立てられ北海道の開拓を託される。北海道樺戸集治獄の初代典獄(刑務所長)として囚人に過酷な労働を科し、石狩川流域の土木治水に務める一方、樺戸、上川、雨童の3郡長を兼務し、郵便局、登記所、警察、病院の朝の役割を果たす。このため地域住民の支持を得て地名も月形となる。1885年病気のため帰福、後中央と福岡を結ぶパイプ役として九州鉄道開設を始め近代化に尽くす。
著書の「北海道監獄用地探検記」は「北海道回覧記」と称されて当時の樺戸地方の貴重な地誌である。福岡勤皇党のリーダー月形洗蔵の親戚である。
2012-01-26 11:53. [ 経済・産業 ] コメント(0) • [固定URL]
1891年12月25日~1961年10月18日
福岡市生まれ/川上音二郎の妹カツの娘で、音二郎と妻貞奴に養育される。
1899年川上一座が渡米のさい子役として同行。サンフランシスコ在住の画家青木瓢斎(本名年雄)に預けられ、本格的演劇を学び、女優となる。1914年主演映画「おミミさん」でまだ無名の早川雪舟と共演し、後結婚。数々の共演の一つでフランスでベストセラーを映画化した「ラ・バタイユ」で「光子」を演じる。ゲランが出した香水「ミツコ」で話題を呼ぶ。1960年「戦場よ永遠に」に共演の翌年逝く。
2011-11-01 10:18. [ 芸能・スポーツ ] コメント(0) • [固定URL]
1921年12月18日~12月10日
東京生まれ、山本書店店主、評論家、「ユダヤ人と日本人」の翻訳者で有名。1990年07月12日から22日まで、「豪華客船ふじ丸」の燦(きらめき)くる~ずの旅(横浜~神戸~博多~香港~博多)に夫妻で乗り、花村仁八郎金印倶楽部会長が主宰する「洋上大学」で「日本人とは何か」の講演を4回行う。後に月刊週刊文春で旅は船旅に限ると絶賛、クルーズ時代の到来を予言した。又「日本人とは何か」のテーマは三浦朱門、守屋洋、梅原猛、木村尚三郎に受け継がれていく。
2011-07-11 02:05. [ 文化・民俗 ] コメント(0) • [固定URL]
1892年~1984年03月17日
50年間の炭鉱員として、山の記録「明治大正炭鉱絵巻」を初め、「筑豊炭鉱絵巻」「王国の闇」の画集を刊行する。2011年5月遺した記録画や日記など約700点がユネスコ(国連教育科学文化機関)の「世界記憶遺産」に日本で初めて登録されることが決まった。
日本の近代化を支えた明治以降の「地底の労働」を専門的な美術教育を受けていない庶民の視線から描いた。14歳のころから、主に中小のヤマ(炭鉱)を転々とし、絵画を描いたのは60代半ば。1984年92歳で亡くなるまで描いた記録画は千点余にのぼる。
2011-06-24 07:01. [ 文学・芸術 ] コメント(0) • [固定URL]
1860年01月07日~1927年11月01日
万延元年~昭和2年
熊本県、農学者・農業経済学者で、東京帝国大学教授・東京農業大学初代学長である。「稲のことは稲に聞け、農業のことは農民に聞け」という言葉は有名。
1882(明治15)年3月福岡県農学校教諭となり、さらに福岡勧業試験場長に就任し近代農業発展に寄与した。特に特筆すべきことは塩分濃度の高い塩水に種籾を浮かべ種籾の良し悪しを判断できる、種籾の塩水選種法、塩水選(塩水選種法)の考案確立である。
*06月08日は米の日だが、福岡県は米に縁が深い。1950(昭和25)年1月に在野の考古学研究者・中原志外顕(しげあき)が発見した日本最古の水稲耕作跡「板付遺跡」があり、横井時敬が「わが国の農業技術の中では、最も古く、最も長命で、現在でも広く普及している技術」塩水選法を確立した。
2011-04-13 11:44. [ 経済・産業 ] コメント(0) • [固定URL]
1871年12月03日 - 1922年 12月06日
明治3年01月23日―大正11年12月06日
熊本県荒尾市出身。頭山満や杉山茂丸と共に孫文達を支援して、辛亥革命を支えた革命家。博多で浪曲家桃中軒雲右衛門の弟子桃中軒 牛右衛門(とうちゅうけん うしえもん)としても活躍する。
2011-03-22 11:41. [ 政治・宗教 ] コメント(0) • [固定URL]
1868年10月09日~1940年01月17日
明治元年 ~ 昭和15年
遠賀郡折尾町(北九州市八幡西区)生まれ。実業家、篤志家。
石炭商で財をなし、育英に志し、多くの秀才の学資を援助した。1921年資金問題で行き詰っていた東京府美術館の建設に100万円を寄付、財団法人若松救療会設置など社会奉仕を続けた
2011-02-24 03:53. [ 経済・産業 ] コメント(0) • [固定URL]
1797年~1863年11月19日
大牟田市宮部出身、長身で長大な竹刀を使い、面突きを得意とした柳川藩の剣豪で天下の剣豪を相手に対等な勝負をして全国に名をとどろかせた。
柳川藩の武術師範役の子として幼児の時から槍と剣を祖父種芳に学ぶ。18歳で剣道に突き技を採用し、さらに同斬(ぎ)りの技を考案して、独持の武道大系を整え、後に大石神影流を創始した。35歳で上京、当時剣名高かった鏡新明智流の桃井春蔵、北辰一刀流の千葉周作、直心影流の男谷精一郎、小野派一刀流の白井亨らに挑戦し、天下の剣豪に対等な勝負をして、一躍その名が全国にとどろいた。剣道具の面に縦一本を入れ、布だった胴を割竹として現在の剣道具の原型を考案したと伝えられている。四国土佐藩、長州萩藩及び九州一円の諸藩から多数の入門者があり、その門弟から有名な剣客が輩出した。次男の種昌も進と称し、父に劣らぬ剣豪だったと言われる(福岡県百科事典 花田衛)
2010-11-10 02:54. [ 芸能・スポーツ ] コメント(0) • [固定URL]
1848年12月22日~1934年05月30日
弘化4年~昭和9年
薩摩藩士、大日本帝国海軍軍人元帥、1904年5月27日、世界最強と言われたロシアバルチック艦隊に完全勝利をおさめる。
その古戦場をはるかに見晴らす福津市津屋崎野大峰山山頂に祭られている。毎年05月27日には春季大祭、12月22日には元帥誕生祭(げんすいたんじょうさい)なるイベントも開催
2010-10-07 12:43. [ 政治・宗教 ] コメント(0) • [固定URL]