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運営:福岡スピリッツプロジェクト(iSEN、ふくおか新遊民倶楽部)
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1249年05月27~1305年09月15日
建長元年 - 嘉元3年

鎌倉時代中期の第90代天皇。国の存亡をかけた戦「元寇」の役で、上皇と後宇多天皇の父子は京の都から伊勢神宮に赴き、「我身を以って国難に代えたまえ」と祈願した。福岡市筥崎宮の楼門に上皇の宸翰(しんかん・天子の直筆)と伝わる「敵国降伏」と記された扁額(へんがく)が掲げられている。博多区東公園内にある銅像(像高4.84m)は、福岡県警察部長であった湯地丈雄(ゆじたけお)が国防思想と護国精神をより高めようと発案し、16年間の献身的活動により完成。1904(明治37)年に同公園にある日蓮上人像と同時に除幕式を行う。原型制作は、福岡出身の山崎朝雲であった。

1871年12月03日 - 1922年 12月06日
明治3年01月23日―大正11年12月06日

熊本県荒尾市出身。頭山満や杉山茂丸と共に孫文達を支援して、辛亥革命を支えた革命家。博多で浪曲家桃中軒雲右衛門の弟子桃中軒 牛右衛門(とうちゅうけん うしえもん)としても活躍する。

1848年12月22日~1934年05月30日
弘化4年~昭和9年

薩摩藩士、大日本帝国海軍軍人元帥、1904年5月27日、世界最強と言われたロシアバルチック艦隊に完全勝利をおさめる。

その古戦場をはるかに見晴らす福津市津屋崎野大峰山山頂に祭られている。毎年05月27日には春季大祭、12月22日には元帥誕生祭(げんすいたんじょうさい)なるイベントも開催

1831年05月15日~1881年07月24日
天保2年~明治14年

幕末の藩政改革に活躍。岩倉具視に建白し、廃藩置県や藩知事設置などに貢献する。

福岡藩の重臣。栗山備後利安の子として豊前の国(大分県下毛郡)で出生。

名は利章または利亮。父の後を継いで筆頭家老となり、藩主長政の信任あつく、その遺言を受けて2代藩主忠之を補佐した。知略・決断力に富む治世家として知られ、凡庸な忠之からは疎まれることが多かった。幕府の法に背く、無謀な施策や不行跡の多い忠之を目覚めさせ、藩の存立を守るため、 1632(寛永9)年、身を挺して忠之を幕府に上訴した(黒田騒動)。忠之は将軍家光の直裁判の結果、謹慎処分にとどめられ、大膳は秀君を訴えた罪で盛岡南部藩預けで決着し、藩の改易は免れた。盛岡での大膳は影山四郎兵衛と称し、その忠節により預け人ながら南部藩から150人扶持と5里四方往来自由の待遇を受け、61歳同地で没した。墓は盛岡市恩流寺にある。(西日本新聞出版、福岡県百科事典・篠原進より)

1319・元応元年・?~1373年・応安6年・11月16日

熊本益城郡豊田庄、南朝懐良親王を立て、1359年08月06日の筑後川の戦い(大原合戦)で少弐頼尚に対して勝利し、夜襲を仕掛けて大宰府を奪う。戦いの後、傷ついた菊池武光が、刀についた血糊を川で洗ったところが、筑後国太刀洗(現福岡県三井郡大刀洗町)である。その後、武光は懐良親王を擁して大宰府に征西府を確立し、1362年には大友氏時と再度戦って豊前を攻略する。また、九州探題であった斯波氏経が大宰府に襲来した際には弟の菊池武義と共にこれを撃退した。1372年に斯波氏経、渋川義行の後任として今川貞世(了俊)が九州探題として就任して派遣されると、武光は了俊に敗れ、懐良親王と共に大宰府から逃れて高良山を新たな拠点とする。北朝の後光厳天皇は菊池武光の武威を恐れて、その追討を命じる綸旨を出した。

1373年11月16日に死去。享年は52と言われている。熊本県菊池市の菊池神社の主祭神として祀られている。

墓所は熊本県菊池市の正観寺。福岡県大刀洗町の大刀洗町公園には銅像がある。

1890年10月25日~1974年03月01日
明治23年~昭和49年

法学者、文部大臣として日本国憲法に署名し、教育基本法制定に尽力する。閣僚(文部大臣)を経験した唯一の最高裁判所長官として在任期間3889日間、歴代最長の記録を持ち最高裁の基盤を創った。その後昭和36年より9年間オランダのハーグで国際司法裁判所判事として活躍する。

1202年11月01日~1280年11月10日
建仁2年10月15日~弘安3年10月11日

鎌倉時代中期の臨済宗の僧。本名は円爾(えんに)。宋から帰国後博多で承天寺(じょうてんじ)を開山し、山笠(07月01日~07月15日)をはじめ、饅頭を普及する。

駿河(静岡県)の出身。鎌倉時代中期の臨済宗の僧。本名円爾(えんに)諡号(しごう)は聖一国師(しょういちこくし)。嘉禎元年(1235年)、宋に渡航して無準師範(ぶしゅんしばん、1178年 - 1249年)の法を嗣いだ。帰国後博多で承天寺(じょうてんじ)を開山し、『疫病が流行り,施餓鬼棚(せがきだな)に乗って担がせ、清めて回り』山笠をスタートさせる。また酒饅頭の製法を教え、承天寺は饅頭の発祥の地といわれている。

1582年~1602年12月01日
秀吉の養子から名島城主で小早川隆景筑前領主の養子になり、関が原で東軍大勝の因を作った戦国武将。

1858年10月27日 -~1919年01月06日 
安政5年~大正8年

ニューヨーク州ニューヨーク市出身。第25代、第26代アメリカ合衆国大統領。1905(明治38)年、日露戦争で日本・ロシア間の調停をつとめた恩人。早く戦争を終結させようとする金子堅太郎全権大使に協力し、停戦からポーツマス条約での和平交渉に尽力した。この和平交渉の斡旋によってルーズベルトは1906年ノーベル平和賞を受賞した。

新渡戸稲造の「武士道」を読み感銘した親日家で、福岡市出身で明治憲法起草者・金子堅太郎とはハーバード大学の同窓生であった。

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