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運営:ふくおか新遊民倶楽部(旧二〇〇七年の会)
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1908年、第一回義士会から100周年記念
詳細はこちらのPDFでご確認ください。

ゆく年くる年<講演会>

「激変の日本 2009年を視る!」
講師:児嶋 昭氏 西日本新聞社取締役編集局長

「丑年は心元気で」
講師:箱嶌 成風氏 タオコーポレーション主宰

ナビゲーター:神田 紅 師匠 講談師

日時:2008年12月13日(土曜日)午後3時~5時30分 受付2時30分~
会場:エルガーラホール(7階中ホール)福岡市中央区天神1-4-2
参加費:2,000円
※「チケットぴあ」「ぴあステーション」「ファミリーマート」で11月11日より発売。
 Pコード614-674

限定60名様 ゆく年くる年<忠臣蔵と忘年会>

義士会の発祥の地、福岡。
第一回義士会から100周年を迎えた記念に、神田紅が講談「忠臣蔵」で魅せます!感動講談、そして素敵な雰囲気の会場で美味しく楽しい忘年会。先着60名様限定です。

講談 赤穂義士伝より「南部坂雪の別れ」

内容:石蔵酒造 博多百年蔵 博多区堅粕1-30-1
※講演会終了後、エルガーラからマイクロバスで移動します。
参加費:
「忠臣蔵と忘年会」のみは 6,500円
「講演会と忠臣蔵と忘年会」は 8,000円

事務局までお申し込みください。

■日時:平成20年10月18日
昼の部13:00開演(12:30開場)
夜の部17:00開演(16:30開場)

■会場
エルガーラホール8階大ホール
TEL092-711-5017 福岡市中央区天神1-4-2エルガーラ北8F

■入場料
独演会 / 一般4,000円 学生2,000円 Pコード 388-911
激励の夕べ / 5,500円 Pコード 388-930

【詳細PDF】

赤坂 小梅 「黒田節」を広めた民謡歌手

ドキュメンタリー映画「小梅姐さん」を撮った監督 山本眸古さん

今年は「黒田節」「炭坑節」で知られる民謡歌手、赤坂小梅の生誕100周年に当たる。

これを記念して出身地、福岡県川崎町や田川市などの有志が中心になって「赤坂小梅生誕100年記念映画製作上映委員会」が昨年に発足。フリーの女性ディレクター・山本眸古(ひこ)さんがメガホンを取ったドキュメンタリー映画「小梅姐さん」が、五月から地元田川市などで先行ロードショーとして公開されている。

川筋女の心意気で、大正、昭和の激動の時代を駆け抜けた小梅姐さんの魅力とは・・・。

若い時、一朝の怒りに乗じて為すことに碌(ろく)な事があろうはずがない。

それを救うには、人間天授の本能に立ち戻って、よく考えれば、平々坦々としてその身の上に蔽(おお)い来る大災禍を免るるの法は沢山あるのである。諸君が和漢の歴史などを読む上に、よく心を落ち着けて考えれば、これらの工夫で天下国家の大難事を無事に解決し得べき、事例は幾らもあるのである。

俗戦国策

明治18年、官制の始めて出来た時から政治道楽をした、日清戦争をした、日露戦争をした、外資輸入をした、日韓合邦(がっぽう)をした、博多築港をした、そうして今はトンと停電して、刀剣を楽しんで、義太夫を語り、出版三昧をして居る所である。此間(この間)に於ける永き経過の中(うち)に、困った事や六ヶ(むつか)しい事切抜けて来た事の、記憶にある事丈(ことだけ)を思い出してボツボツと書いて、青年者が処世の参考に供して置こうと思う。・・・号して之を俗戦国策と称する。

人間の最終目的は独立である。下駄の歯入れをしても、紙くずを拾いでも独立したなら紳士として交際しよう。依頼心は自殺以上に罪悪である。野良犬でさえゴミをあさって天寿を保っている。野良犬に劣ってはならぬぞ。親にもらった自己の全能をもって働くことが第一である。人間は大自然の創造物であり、宇宙間の善智善能をもって結晶した最上無比の大宝器である。

ふくおか先人資料館 » 杉山茂丸 全身献体の快人

社会を乱す者

国家の腐敗はいつでも上層から先に腐って下層に及ぼすものである。日本では最下層まで腐り透ったことは一度もない。良き指導者が現れるときは、何時でも国民が立ち上がり国家をより良く回復させる。

学問に使われるな、学問を生かせ

人道は「智者は愚者を導き、強者は弱者を助け、富者は貧者を賑わす」わずかこの3つで足りる。しかし現世界の学問中毒の大勢は全てこれが反対である。

「智者は愚者を欺(あざむ)き、強者は弱者を凌(しの)ぎ、富者は貧者を虐(しいた)げる」

これでは決して永続きするものでないということを早く知った者が人道の自覚者で直ちに勝利者になるのである。

ふくおか先人資料館 » 杉山茂丸 全身献体の快人

士魂商才を貫いた石油王

出光佐三は明治十八(一八八五)年、宗像市赤間で藍問屋の次男として生まれた。

神戸高商に進学後、なんと一商店に就職。神戸商高・水島銕也校長の「士魂商才」の教えを胸に商売の基礎を学んだ。しかし実家が倒産、窮地を救おうにも資金はなかったが、佐三の人間性に惚れ込んだ神戸の素封家が巨額の資金を提供。それを元手に同四十四年、門司に創業したのが機械油を扱う出光商会だ。

苦労した商売も軌道にのり大陸や台湾まで事業拡大。昭和十六年「出光三十年の歴史に誤りなし」と「人間尊重、大家族主義、独立自治、黄金の奴隷たるなかれ、生産者から消費者へ」の出光憲法を現している。

昭和二十年、敗戦で資産を失うが、八月十七日には社員に「愚痴をやめ、歴史を見直せ、建設にかかれ」と訓示。復興は苦難続きだったが、GHQから受けた廃油回収作業が認められ、同二十四年石油元売業者の一社となる。海外資本の傘下に入らず出光は独自の道を歩み、その後「日章丸事件」などを乗り越え、出光の名は海外でも有名になった。

しかし順調な自社に、逆に佐三は危機感を抱く。「金は国や社会貢献に大切だが、最善の努力で儲けねばならぬ。金儲け目的の会社はいずれ消える」と諭した。昭和四十一年に世界最大のタンカーを建造した時は、全国から中学生一万五千人を招待、「明日の日本を担う子に大きな夢を抱いてもらいたい」と願った。

佐三のもう一つの顔は美術品コレクター。伝統文化にも造詣が深く、出光美術館初代館長も務めた。そして昭和五十六年三月、九十七歳で天寿を全う。「顧みて、人間尊重の道は正しい日本人の胎動であった」と語ったという。

1937年2月2日福岡出身の広田弘毅内閣が総辞職する。

二・二六事件の責任をとり総辞職した岡田内閣の後には、初めに近衛文麿に組閣命令が下ったが、病気を理由に辞退。そのため、元老西園寺公望は、広田弘毅に首相就任を引き受けさせるため、近衛文麿と吉田茂を説得役として派遣した。広田は拒み続けたが、ついには承諾し、1936年(昭和11年)3月5日、天皇から組閣大命が下る。閣僚選出について軍部の干渉を受け(軍部による吉田茂入閣拒否他)つつも、3月9日、広田内閣が成立した。

就任後は、軍部大臣現役武官制を復活させ、軍事拡張予算を成立させるなど、軍部の意見を広範に受け入れることとなる。11月には日独防共協定を締結。しかし翌1937年(昭和12年)1月、議会で浜田国松議員の「割腹問答」があると、これに激怒した寺内寿一陸相が広田に解散を要求、ところが広田はあっさり総辞職した。広田の後任として組閣命令を受けたのは宇垣一成であったが、軍部が反対し流産。替わって林銑十郎に組閣大命が下り、2月2日に林内閣が成立した。その後、第一次近衛内閣の外務大臣に就任、重臣・貴族院議員なども歴任した。戦時中は東郷茂徳や石黒忠篤とともに院内会派無所属倶楽部を組織して東條内閣や大政翼賛会と対抗した。

なお、現在の国会議事堂は、広田が首相の時に完成している。

福岡市中央区の福岡市美術館前に広田の銅像が設置されている

飯野グループの総帥 飯野寅吉が誕生1865年02月01日~1949年01月31日
慶応元年~昭和24年

直方市生まれ / タンカー業界の先駆者で飯野海運を創立し海運業に貢献する。 1899(M32)舞鶴鎮守府の開庁とともに舞鶴に来住、飯野商会を創立して港湾荷役業を始める。三大会社、飯野海運(株)、飯野重工業(株)、飯野産業(株)の基礎を築く。また'37(S12)には中舞鶴町のために役場庁舎を新築寄贈した。

福岡県直方市出身。早くから企業心に燃え、大阪市で石炭販売業を営む。1899(M32)舞鶴鎮守府の開庁とともに舞鶴に来住、飯野商会を創立して港湾荷役業を始める。その後、成功を収め1918(T7)12月に資本金百万円をもって飯野商会を株式組織に改め、飯野商事(株)を発足する。 '21(T11)4月には海洋進出を目指し飯野汽船(株)を創立。'39(S14)12月に東亜林業(株)を起し、東南アジアに進出。その後各社の経営合理化のため合併、分割等を行い、三大会社、飯野海運(株)、飯野重工業(株)、飯野産業(株)の基礎を築く。また'37(S12)には中舞鶴町のために役場庁舎を新築寄贈した。享年83歳。

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